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[[yuni’s 有為記/2005-02-15]]
*[[イメージあるいは幻想]] [#p80ace6e]
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-いま・ここであろうが、明日であろうが、未来のいつかで
あろうが、[[暮らし]]は続く。
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-だから以下のような抽象論は思想家にまかせておく。
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「[[解放]]のイメージってものを考える必要もあると思うよ」
常に現場第一主義で、是々非々で「一歩づつ目の前のことに当たっていくべきだ」ということを強固に主張していた学生だったころ、いわゆる左翼系の人に言われたことがある。

私も[[サヨク]]の傾向はあるけれど「解放のイメージ」とかいわれてもどうしてもピンと来ない。

社会集団が[[目標]]をもつことにどことなく違和感がある。

だから結局、[[政治的]]にはなれないのかもしれない。

いまの日本で、たぶんいちばん求められているのが、マトモに[[政治]]に取り組むことではないかと思う。

これほど空白になっている領域もないのだから、ある意味チャンスでもあろうに。

でも転ばないように歩くのが精一杯、私の[[流儀]]でないことは結局できないのだ。


[[哲学]]の根元的課題の一つに「[[超越]]」ということがある。「[[いま・ここ]]」ということにこそ、私は「越えていくもの」があるような気がしている。[[目標]]は遠くに設定するものではなく、[[一瞬]]ごとに、その[[場所]]ごとに、あるだけなのだ。だからこそ「[[リアル]]」になれる。

解放のイメージは結局「[[幻想]]」でしかない。

[[壁]]とか[[障害]]というのは、その向こうへ越えるものでもなければ、破るものでもない。ただ向き合うものだ。

自分の[[限界]]に向き合う。それはすなわち「いま・ここ」在る全てに対して自分をひらくということ。向き合うことで、壁を自らの[[身体]]とし、障害を[[チカラ]]に変えることができるかもしれない。

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