yuni’s 有為記/2005-02-15

イメージあるいは幻想

  • いま・ここであろうが、明日であろうが、未来のいつかで
  • あろうが、暮らしは続く。

  • だから以下のような抽象論は思想家にまかせておく。


解放のイメージってものを考える必要もあると思うよ」
常に現場第一主義で、是々非々で「一歩づつ目の前のことに当たっていくべきだ」ということを強固に主張していた学生だったころ、いわゆる左翼系の人に言われたことがある。

私もサヨクの傾向はあるけれど「解放のイメージ」とかいわれてもどうしてもピンと来ない。

社会集団が目標をもつことにどことなく違和感がある。

だから結局、政治的にはなれないのかもしれない。

いまの日本で、たぶんいちばん求められているのが、マトモに政治に取り組むことではないかと思う。

これほど空白になっている領域もないのだから、ある意味チャンスでもあろうに。

でも転ばないように歩くのが精一杯、私の流儀でないことは結局できないのだ。

哲学の根元的課題の一つに「超越」ということがある。「いま・ここ」ということにこそ、私は「越えていくもの」があるような気がしている。目標は遠くに設定するものではなく、一瞬ごとに、その場所ごとに、あるだけなのだ。だからこそ「リアル」になれる。

解放のイメージは結局「幻想」でしかない。

とか障害というのは、その向こうへ越えるものでもなければ、破るものでもない。ただ向き合うものだ。

自分の限界?に向き合う。それはすなわち「いま・ここ」在る全てに対して自分をひらくということ。向き合うことで、壁を自らの身体とし、障害をチカラに変えることができるかもしれない。

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