2016-3-6[日]木こりなのに木を伐らない日々が続く事に苛立つ
というのが、このwikiの日記的部分で繰り返されてきたテーマ
木こり日誌という過去のシリーズを見ればよくわかる
もういい加減に木こりであることを諦めてもいいのかもしれない
実際にチェーンソー一本で勝負する立場にいないことは確かなのだし
現場主義的なこだわりを捨てきれないから
いまだに木こりを名乗りたい気分ではあるし
いざとなれば、ロープワーク系以外の伐採なら
どんな木でも確実に伐倒できる準備はできているけれど
そんな事はどうでも良い
樹木や森林と向か合うということだけは
変わらないのだから
それをもって
例えば
現場主義的な充実感などと言ってみたところで
生きているということでは
むしろ、
木を伐らない木こりとして
より
充実した
つまり
誰にも見えない部分での
本質的な
生命の使い方
を
捉えることが
できるはず
|