アントニーン・レイハ

今年はレイハ生誕250年記念の年です。
2月26日(水)21時から、ツイッターでレイハを語ります。

特設サイトReicha250

https://peraichi.com/landing_pages/view/reicha250


Anton (Antonín, Antoine) Reicha (Rejcha) (26 February 1770 – 28 May 1836)

アントニーン・レイハ(アントン・ライヒャ アントワーヌ・ライシャ)はハプスブルグ家支配下のボヘミア(チェコ)のプラハに生まれた作曲家。ナポレオン戦争によりヨーロッパ中が振り回された激動の時代。ボン、ハンブルグ、ウイーン、パリなどで活動し最後はフランスに帰化した。
いろんな国で活動したため名前の表記が定まらない。このページでも、記事の流れであえて統一しない。
ベートーヴェンと同年生まれで、15歳のときボンで出会いその後ウィーンでも交流した親しい友人であった。

音楽史的には、演奏家、作曲家というよりは、理論家、教育者としての成果が知られている。
パリ音楽院の作曲法教授として、リスト、ベルリオーズ、グノー、フランクなどを教え、作曲の理論書は19世紀中欧州で使われた。

Rediscovered

没後ながく忘れられていたレイハの音楽、ごく最近になってレイハを再発見し再評価するような取り組みが始まった。

イヴァン・イリッチIvan Ilić

私がレイハに出会ったきっかけ。現在の再発見の中心にいるピアニスト、セルビア系アメリカ人でパリ在住。
5枚のアルバムによるライシャ再発見シリーズ(2018年第2集まで発売済)

木管アンサンブルの大家

レイハの作品でもっとも演奏される機会が多いのは木管五重奏を中心として木管アンサンブルの作品だろう。
ピアノや弦楽四重奏が作曲的チャレンジに溢れた作品だとしたら、木管楽器を活かした作品は、新たな作曲技法への挑戦というよりも、高度な作曲技法を駆使しつつ、それぞれの楽器の性能を活かした実際の演奏効果を意識してい思われる作品群だ。

彼自身が若いころフルートを演奏していたので、木管楽器の演奏技法を熟知していた。楽器に精通していた作曲家が少なかったなかで、レイハは弦楽器のアンサンブルと同レベルの音楽を木管楽器のために提供しようという意図が感じられる。
ウィーン時代から取り組んでいたがパリ音楽院の作曲法教授としての地位を確立したパリ時代の作品が多い。この時代はキーシステムの普及など管楽器の構造が大きく変化し、演奏技法も急速に発達した。こうした新しい時代のサウンドに対応した音楽だったと言える。
20世紀になって盛んになった木管アンサンブルというジャンルの、古典時代における作品として演奏家や愛好家にとって貴重な曲だが、それぞれの作品の音楽的な完成度の高さは特定のジャンルに留めておくべきものではない。

  • 全24曲の木管5重奏曲(1810-1820)は、このジャンルを確立したと言える作品。パリ音楽院の5人の名手による連続演奏会のために作曲され、6曲づつのセットとして4回に渡って出版され楽譜はヨーロッパ各地に広まった。
  • 緻密な構成でありながら、楽器の個性と名人芸を余す所無く表現した、親しみやすい曲調のまさに演奏会向けの作品。ハイドンを「弦楽四重奏の父」と呼ぶならライヒャは「木管5重奏の父」と呼べるという評価もある。演奏時間が30分を超える大曲ばかりなので、一般的なクラシック音楽の演奏会で取り上げるのはプログラム構成的にも難しく、管楽器愛好家のための音楽ということになりがちだ。現代楽器による演奏でもよほどの名人揃いでないと安心して音楽として楽しめる演奏にはならない難曲でもある。

音源集

ピアノ曲

    • フーガの手法による34の練習曲 op97
    • no.1a
    • no.1b
    • バッハのクラヴィーア曲集に倣ってプレリュードとフーガのセットで構成された曲集。練習曲と名付けられているが作曲技法の紹介的な作品。バッハと20世紀印象派の橋渡しのような斬新な響きに溢れている。

  • ヘンリック・レーヴェンマーク
    • レイハピアノ曲全集
    • Toccata Clasiccs、Henrik Löwenmark(pf)  
    • レーヴェンマークはスウェーデン在住のレイハ研究者で録音はレイハ関連のものしか無い。全曲録音という長大なプロジェクトは、あきらかに音楽史的な意味を意識している。

    • Études ou exercices, Op. 30,
    • エチュードと名付けられているが、ピアノ演奏の練習曲というよりは、ピアノのための作曲の練習と言えるような作品集。2部構成で1部では音型、2部では楽想、について、それぞれ部品のような小品。古典派ロマン派という時代を超えた構造的な音の連なり。

  • 弦楽四重奏
    • Peter-sheppard-Skaerved率いるクロイツァーカルテットによる弦楽四重奏曲全集。まずウィーンで出版された6曲からリリース。

  • Trio for 3 Violoncellos in E flat major

    • ウィーン時代の終わり頃の作品。小編成のシンフォニーと言っても良いほど内容の濃い大曲。古典的な構成と斬新で魅力的な数々の主題を自由に展開する構成で、曲の終わりを示唆するフレーズが出てくると、いつまでのこの響きの中にいて、終わって欲しくないとまで思わせる。オーボエ(フルート)、クラリネット、ファゴット、ホルンとヴァイオリンによる多重協奏曲的な音楽と見ることもできる。
    • 八重奏というのは、弦楽四重奏と木管4パートというところから来ている名称だが、演奏では必ずしも、八重奏にこだわらない解釈も多いようだ。コンソルティウム・クラシクムの演奏はコントラバスを加えシンフォニックな響きを強調しているし、チェコ・ノネット・ソロイスツの演奏では、本来、オーボエまたはフルートで演奏されるところを、オーボエとフルートの2パートに分け、繰り返しも省略したアンサンブル志向の軽快な演奏だ。

  • 12 Trios for Two French Horns and Bassoon Op.93

  • Flute sonata in D major Op.103
    • Yoshimi Oshima, Flute
    • Jaroslav Tuma, Fortepiano
    • https://youtu.be/LuOYcJ33sKs
    • Grand duo concertant と題され、フルートとピアノによる協奏曲と理解したほうが良い。フルートとピアノの華麗な掛け合いで構成された音楽的密度の極めて高い大作。
    • フルート奏者だったライシャの楽器への思い入れが随所に溢れている。1824年にパリ作曲された。
      大嶋義実のモダン・フルートとチェコのピアニスト、ヤロスラフ・トゥーマが同じチェコのポール・マクナルティ製作によるフォルテピアノで演奏、ライシャの古典的な構築でかつ華麗な響きという音楽を見事に表現している。
      現代に直結するベーム式フルートが発表されたのは1832年であり、この作品が発表された後になるが、ライシャの音楽スタイルから考えても当時の楽器を用いるよりも、目指していた響きとしてこのような組み合わせが妥当だろう。

  • ピアノ5重奏 ハ短調 Quintet for Pianoforte and Strings in C minor
    • Jaroslav Tůma(フォルテピアノ) Kocian Quartett
    • https://www.youtube.com/watch?v=_6rq_x2VVOo
    • 1826年パリ時代の円熟期の作品。ライシャはこの年を最後に新曲を発表していないので最晩年の作とも言える。同時代のピアノ五重奏として際立つ名曲と思うのだが、録音はこれしかない。ピリオド楽器による軽妙さと陰影の対比する素晴らしい演奏。使っているピアノは作曲時期よりも少し古いスタイルの楽器のように聴こえる。パリではエラールが現代に直結するピアノを売り出していた時代だ。この曲の場合にはモダン楽器での尖った演奏も聴いてみたい。おそらく楽譜も出版されていないので、研究者でなければ演奏は困難なのかもしれない。

楽譜

彼の作品は一般には木管五重奏くらいしか演奏されることが無い。
19世紀初頭における実験的音楽の挑戦者であり、膨大な作品が出版も演奏もされずに埋もれたままだという

最近になってパリ音楽院にある膨大な手稿譜が研究され現代譜として校訂出版されるようになり、再評価がはじまったばかり

  • 楽譜は以下から入手可能
    • IMSL.P国際楽譜ライブラリープロジェクトによるフリー楽譜。
    • レイハの生前に出版されたオリジナルが多い。


雑想

ライヒャは古典派からロマン派へという一般的な音楽史観を裏切る存在。古典主義とバロックを融合し、数学や幾何学をとりこんだ絶対音楽の拡張は、そのまま20世紀に直結する。

ただ彼自身は作品の出版や演奏よりも、作曲や理論研究に集中し、晩年はもっぱら後進指導に力をいれていた。死後、彼の作品はすぐに忘れられてしまう。

ロマン主義の全盛期をむかえた19世紀において、ベートーヴェンは元祖ロマン派の大作曲家として後世に伝えられたが、純粋な音の組み合わせによる絶対音楽的世界を追求し、いわば、ミニマル・ミュージックの開祖ともなったライシャは歴史に埋もれてしまったのだ。

歴史に「もしも」は無いと言われるが、もしもベートーヴェンの後、ロマン主義(特にワーグナー以降の後期ロマン主義)を経ずに音楽が発展したらどうなっただろうか、という問いが私には長い間あった。古典主義の明晰で純粋な構築美をロマン的ヒューマニスムではなく、自然主義的あるいは合理主義的に発展させた先の、人間の感情表現を盛り込んだようなクラシック音楽の可能性を、20世紀のいわゆる「現代音楽」では無いかたちで、妄想してきた。*1

フランス近代音楽や東欧の国民楽派の響きのなかに、それを感じる部分もあったけれど、全体としてロマン主義的な「芸術音楽」は個人の感情表現の手段として巨大化し(結果として矮小化した)。
そうした表現への反動として、ついには、型式美、楽しさ、感動さえも拒否するような20世紀的な「現代音楽」がうまれ、それこそがが音楽史的な本流とされている。*2

21世紀にもう一度芸術音楽を再構成し、世界の中における人間と、世界全体との調和を意識した根源的な交流を許すような芸術として、音楽を次の世代につなげる可能性は無いのだろうか。
私のクラシック音楽に対する長年の疑念と暗い展望に対して、アントワーヌ・ライシャの音楽は一筋の光のように感じられる。


*1 私自身は音楽家でも、音楽理論家でも、評論家でも無いので、ありまで聴きてとして、そのような音楽が存在することへの妄想
*2 そうではない現代の音楽もあるが、それらはクラシックへの回帰とみなされてしまう。

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