2026-1-14[水]

わたしはここでいろんなことをランダムに語ってきたけど、注意深く配慮して語らなかったことがある。
それは特定のできごとについてではなく、わたしのあり方や行いかたについてのランダムでしかしひとつの大きな基本的なあり方についてだ。
それは何かと言うよりも、それで何をしたのか、それで何ができなかったのか、そこから何をどのように解釈し、そこからどこへ行こうとするのか、というわたしのあらゆる行動考え方生き方あり方に、不可分についてまわることについてだ。
結論から言えば、わたしはわたしになろうとしつづけている。それはなにか固定された信条とか思想、イデオロギーのようなものではない。
ここまで書いてきて中断してしまうのは、読者それはたぶんわたし独りかもしれないに対しての裏切りになってしまうけれど、なぜかわたしは立ち止まらざるを得ない。
だって、生まれてからいままで、わたしはそのテーマをかたることを避けてきたから。
かたらなくても、行動や態度であらわれてしまったことは多い。
それはを否定するどころか、そのようにできたことを誇りに思う。
でも、語らなかった。意識的に、行動や態度の意味や背景は語らなかった。
語る必要を感じなかったし、語る資格も無いと思った。
なんで資格なんだ?
わたしは自由じゃないのか?
わたしはわたしであることになぜ躊躇するのか?
誰がわたしを規定するの?
わたしはわたしに問いかける。
ずっと問いかけ続ける。
このWIKIを注意深く読み返しても、たぶん答えは見つからない。
そのくらい、その配慮は鉄壁でわたしの生きる習慣になっていた。
語らない、それは生存戦略だった。
でも、それでは生きていけないから、言葉にはしなかったけれど、行動や態度では示してきた。
だれにも気づかれないように。
だれかにバレていたとしても、その先の対話には進めないように。
わたしはわたしの言葉では語らなかった。
もう良い、言ってしまおう。
それは、現代の言葉で言えば、フェミニズム。
それは主義主張ではなくて、わたしのあり方を本質的に説明するためのキーワードだ。

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