思考実験中
代金の払い方には、前払いと後払いがある。
例えば林業の場合、以前は立木の売買>伐り出して売る、という流れが基本だったので、売れない場合のリスクは伐り出す側が負っていた。もちろん安く買って高く売るのが商売の原則だから大儲けをする業者もあったが、売り手も納得したうえで価格だ。
林業が森林整備と呼ばれるようになり、事情が変わってきた。
木の価値が無いことが前提となり「いくらで買います」から「少ない負担でやらせて下さい」になった(負担金無しの場合も多い)。
自分で手入れが出来ない山、投資をする価値も無いと思われる山を、タダでやってくれる公共事業だ。
保育の段階はそれでも良かったが、間伐材を出して売るようになると、間伐材の収益の扱いが問題となる。
補助金だけでは賄えないので、負担金のかわりに間伐材の売上を事業費に充当する、するというルールが生まれた。
間伐材は安いけれど、補助金があるから伐り出せる。
木材価格はいつまでたっても高くならない。補助金もなくならない。
最近になって、少しずつ木材価格が上がって来た。特に低質材の値上がりが著しい。高級材はむしろ値下がりしている。
補助金のルールが変わり、材を多く出すほど補助金が額が増えるうようになった。
事業を請け負う側は、補助金と売上で経営ができる。
売上を伸ばすにはどうしたらいいか。これもほとんどの場合事業者にできる事は少ない。
結局のところ営業努力の余地があるのは、条件の良い現場を確保することしかないことになる。そもそも仕事が取れなければ話にならない。営業とは事業地確保と同義なのだ。
現場で、出来ることは、生産性の向上だ。
確かに機械化で生産性は上がるが、コストもかかる。
かつて、山林経営者の多くは、自ら直接山の現場作業をしない場合でも、経営者としての意識を持っていた。造林保育は自ら行う事も多かったし、伐採にしても、立木価格の交渉をするのは山持ちのあたりまえの仕事だった。
ところが、自ら経営をあきらめてしまった山林所有者は、いまでは仕事場を提供するだけで、事業の外側におかれてしまっている。
出費なしで山がきれいになるだけで、文句を言わないどころか、現場を見にも来ない。
すでに利害関係者とさえ扱われていないのだ。
小規模零細の個人所有者ではどうしようもない、まとまって行動するとき、頼りになるべき森林組合?
いつの間にか、森林組合も事業者になってしまって、森林所有者の外側で事業をまわしている。
どこかずれている。
誰も儲からない? 誰かが儲けている?
金融と機械メーカー?
税金を払って事業を支えている国民は?
もういちどシンプルな経営に立ち返るべきではないか。
事業者は
短期に伐り出すなら、立木を買う
仕事場として長期契約するなら、地代を払う。
経営を受託するなら、地域全体と次の世代にまで責任を負う。
本当に林業経営をやりたいなら、森林を買う。
頑張って営業し木を高く売る。
森林所有者は
単発で手入れを頼むなら代金を払う
経営を委託するなら、委託料を払う。
道づくりや生産計画には意見を言う。
個人でできないなら、まとまって組織をつくり専門家を雇う。
何も出来ないなら、地域の出来る人に売り渡す。
森林所有者=林業事業者である必要は無いが
経営放棄は山村放棄につながる
放棄するなら、野生に還す
すべての森林で林業経営をやる必要は無い
そんな枠組みで考えなおしてみたい。
補助金?
あてにしない。
役立つなら使えば良い
方向は違う
生きる力になるかが、判断基準
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