大勢のフォロワーがいるツイッターで、これ以上もっともらしいことをつぶやくのはやめることにした。
どうでもいいようなつぶやきと、気になることのRTだけにする。
twitter
http://twitter.com/yunikayama
- 漫然とタイムラインを眺めて過ごしてしまえるという新しい娯楽ツール。放っておけばすぐに心の隙間に広がっていく退屈という恐怖を覆い隠してくれる。つまり貴重な人生の時間を簡単にわかりやすく無駄にすることができる。
- 限られた文字数で「いまどうしてる」とつぶやく。けっこう自由に書ける。熱心なtwitterな人が、いつのまにやらフォローしてくる。独特なコミュニケーションツールになっている
私の場合はどうしても「何考えてる」になってしまう。だって今何してるかと問われれば、twitterに向かっている(PCの前にいるか、携帯を見てるかどっちか)と言うしかないからだ。
「何処なう」とかつぶやく気になれない。そもそも何処とか何時とか、そういうことを発信することに関心が薄いから?。
- 意外にもネットにありがちな「殺伐感」が無い、前向きでホットな語り口が多いのは何故だろう。
- タイトルつけないで、短く脈絡なくつぶやくからいいのだ
ツイッター楽しいかも>楽しい
- ブログはアカウントもらってもほとんど書かないし、mixiもたまに見るだけ、このwikiは自分の本拠地なのに、以前ほど書いてない。なのにTwitterにははまってる。
大昔のパソコン通信以来。とりとめの無いことだけでなく、テーマ性のあることも含め、いろいろツイートしてしまう。フォローされる事はあまり気にしないが、いろんな人を表フォローするフォローしないでも、裏フォローできるツールもあったり、とにかくスタイルが自由なのがいいのか。そして、意外ほど多くのしかも結構整理された情報が手に入る。
- 案外、本業関連のことばかり書いている。パソコン通信の時代には、いろいろ書いてきた本業がらみのこと、このwikiも含めて、いままであまり書いてこなかった。
- twitterの本来のあり方からすると、書くのではなく、ツイートする、もっと気楽に簡単にということなのだ。そのうち、飽きてきたらそうなるとは思う。
フォローを増やしてタイムラインが多様化してくると、娯楽的な性質が強くなってくる。
いよいよリアルタイム交流になり、その場が完結し充実したときとなる。何かのためとか、何かの役に立つということとは関係ない、後先を考えなくても良い、いま・ここの充足感。
つきあいかた
- 最近、ツイッターをやたら褒めちぎる人がいて、そんなタグもあったりして、ちょっとどうかなって思うようになってきた。しょせん「さえずり」せいぜい「つぶやき」なのであって、世の中が変わるとか、人生が変わるというのは大げさすぎる。
- パソコン通信をはじめた頃、見えない縁でつながっているという感覚がとても新鮮で感動的だった。文字だけのコミュニケーションなのに、人の体温を感じられることの不思議さ、そんな魅力にとりつかれた事があった。それがウェブ時代になって、個人のホームページというタコツボ的な状況が生まれ、匿名掲示板の殺伐空間か、個人主宰の掲示板での管理人さんと投稿者との、一対多的な気疲れするコミュニケーションというのが普通になってしまい、さらにブログやSNSというスタイルが普及してもコミュニティ的な意味でおおきな変化は感じなかった。
- twitterは、そうしたいままでのウェブ的空間とは違うあたらしいコミュニティになり得る感覚はある。
どんな使い方もできる素材的な空間というのが特徴。少なくとも私にとってはSNS的な使い方は興味がわかない。例えばRTとか、replyも基本一方的で良いと思っている。フォローしましたとかフォローありがとうとかもしない。フォロ外しとかも自由にやると思う。