2014-10-3[金]難しいことを単純化せずに、難しいまま抱えて歩む。
その場所でそれぞれに生き抜く者たちの在り様に、私とあなたの意志をどのように響かせる事ができるのか。
やることは、いちいち、具体的な、現場にあり。
言い訳の体系化ではなく、語り伝えるモノゴトの、身体に付いた行為の集まり。
多様性というのは目指すことではなく、気付くことではないか。
目標という言葉も、たぶんそのようにとらえなおす。
3年目にして結構頑張ったつもりだが、まだまだ不消化な研修。
林業現場の中堅を目指すフォレストリーダー研修、「目標林型」がテーマなんて。
良い言葉を並べて、きれいに取りまとめてしまいたくない、かと言ってぶち壊して突き放すのも無責任というか愛情が無い。
荒山林業地のなかでは、比較的わかりやすい現場をあるき、さらに隣接する決してうまく行ってないありがちな山での、普通の山仕事を見る。
それでも、見事に多様な森林がそこにはある。
課題が多い事また事実。
いかに、我々が日々取り扱っている森林を理解していないか。理解しないまま日々の仕事だからという、それだけの理由で作業をこなさなければならないか。
わかっているようなふりをして、何もわかっていない。
木を伐るのは単なる作業であって仕事ではない。
フォレストワーカー2年生に話すなら、そこで充分だ。
それを繰り返し伝えることで、仕事になるような伐採技術も磨かれてくる。
しかし現場のリーダーに求められるのは、仕事の意味を伝え、働く意欲を高められることではないか。
そこで、「目標」という言葉が必要になるのは、当面の現実としては認めよう。
だが、それを「多様性」などという美しい言葉にまとめてしまうのは、気に入らない。
まとめさせてしまう事が情けない。
まず、雑木などという無責任な表現を許さず、すべての取り扱う樹種くらいは、名前と特性と用途を覚えておかなくては。もちろん造林樹種であっても、品種もあれば、造林環境も多様だ。
グループ討論での発表というスタイルがそもそもぬるい。
もう一度現場へ行き、じゃあこの山をどうするのか?という具体的な仕事を組み立ててみなければ、結局ことばだけの研修で終わりだ。
そもそも、こんなカタチで研修なんて無理なのかも知れない?
そうではない、
本当にすぐれた表現者なら、人の魂を揺さぶる表現ができる。
伝える力が足りないのは、やはり具体的な現場から遠ざかっているという、根本的な課題がある。
明日の私は今日と同じではない。
変わっていく日々
乗り越えていく障害
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