補助金林業における経営の話

ヘクタール単価とか立米単価とか、いわゆる補助金の標準事業費を基準にして仕事を組み立てるという考えかたは、結局は労動の対価を得るという仕事。

労動の対価を得るというのは、本来の経営ではない。

経営とは仕事の対価を得る仕事。


補助金林業の仕組み

補助金標準単価は標準歩掛という計算根拠によって積算されている。中身は労務と機械費用を積算したもので、実態としては労務提供。
規格におさまっていれば、仕事の内容は評価の対象ではない。つまり基準内ならどんな仕事をしても貰えるカネは同じ。

この単価で仕事が成り立つかどうかが、ほぼ唯一の経営判断になる。
基準内の出来栄えでより早く仕事を仕上げれば、つまり標準工程よりも効率的に作業ができたときに、はじめて利益が出せる。

労務の効率化には限界があるので、ここで有効なのは機械化だが、設備投資の償却費を決めるのは稼働率であり、どうしてもまとまった事業地が必要になる。

いずれにしても、作業の効率化が進めば、標準歩掛も見直される
(構造的に利益は出せない仕組み)

もちろん補助なので、どんなに高率でも100%という事は無い。多くの場合70%の補助。残り30%のいわゆる補助残は当然のことだが受益者負担になる。

受益者と割引事業。

木材の品質が低くて売上が不十分だと、伐り出した木材だけで、補助残をまかなう事はできない。

特に意欲的な森林経営者がほとんどいない状況では、森林所有者が木材売上以上の資金を負担しようなどとは考えることはない。

「事実上の受益者」は仕事が貰える立場にある、事業者ということになる。

つまりこの事業は、事業者が、割引きで仕事を引き受けることで成り立っているのだ。

かつて切り捨て間伐の時代は、完全3割り引きだった。

いまでは、いくらか木材の売上があるけれど、それでも2割り引き以上というのが現実だろう。

このような割引事業を成り立っている理由は、事業者が作業を効率化して生産コストを下げるか、労働者の賃金を下げるか、たぶんその両方なのだ。

森林所有者が請負事業者の仕事内容を評価し、それに見合うだけの費用を負担するならば、請負事業者はより良い仕事ができるし、労働者の賃金を上げることも可能だ。

森林所有者に評価を得られるような仕事とは、資産としての森林の価値を上げる事だろう。しかし現実にそのような評価を得ることは困難だ。

なぜならば、多くの場合、経営意欲を失った所有者に長年放棄された森林は、1回間伐をした程度では価値が上がったとは見なせないし、それ以上の投資意欲をもつきっかけにもなりにくいからだ。

低質材林業では補助残にも満たない売上にしかならない、だから森林所有者が積極的にこのような事に取り組む動機はほぼ無い。

ただ事業者が仕事が欲しいから取り組むだけなのだ。

それも森林整備事業という名目で「負担金はいただきませんから」という言葉だけで、なんとか仕事をいただいてくる。

放置林をタダで整備してもらえればそれで良いという所有者。

放置林をタダで整備して割引事業でなんとか食べている事業者。

やがて、所有者の無関心をいいことに、事業者は利益を優先して、雑な仕事で少しでも多くの木を伐採しようとするようになる。

これが、いわゆる請負林業批判を生んでいる元凶だ。
(仕事をしないで補助金をだまし取ったどこかの事例は論外)

それをしたくない、意識と意欲ある事業者は、利益を削り、賃金を抑えて、わずかでも所有者への利益還元を試み、なんとか食いつなぐような経営に陥る。

それは補助金という仕組みに支えられた危うい経営だ。
仕組みが変われば直ちに破綻してしまう。

経営不在林業

実際に、いまの森林の品質と木材価格では、補助金なしの森林整備単独では事業は成り立たない。

森林所有者が複合経営で森林以外からの収入を森林に投資することができるだろうか。

そうでなければ、請負事業者が複合経営で他で得た利益をまわして良心的な請負経営を維持するか。

繰り返すが、補助金に依存した森林整備事業は、標準単価という枠のなかでの労務提供事業でしかない。

労務提供というのは、本来的には経営ではない。

仕事の対価は、仕事の成果に対して支払われるのではなく、労動時間に対して支払われる構造になっているからだ。

だが、補助金の仕組みさえ維持されていれば、経営不在でも、とりあえず食い繋ぐことはできる。

このような仕組みに依存した経営は、仕組みを自らの力で動かすことが困難な以上、最終的には規格と計画に従属し、すべてを予算ベースで引き算で考えるようになり、働く者の創造性を奪う結果となってしまう。

経営の創造

このような状態の林業事業体で、本来の経営を創造する事はどうしたら可能になるのか。

収入源をもう一度見なおしてみる

日常の収入とは、補助金と木材の売上。

林政への関与

そこで、最初に考えたのは、補助金を増やす、すなわち仕組みを動かすことだった

そもそも森林整備に補助金が出るのは、この事業の公益性を考えての事。

森林所有者の経済活動によって健全な維持管理ができなくなってしまった森林を、公共投資で再生するという政策が実施されてきた。

保安林の整備は100%公共事業として行われる。しかし普通林については、公益的部分と私的財産の部分の両面があることを評価し、森林所有者による事業を補助するという形態となったわけだ。

先に書いたように、いまや事業主体の中心は森林組合をはじめとする請負事業者となっている。

そんな請負事業に民間のしかも都市からの移住者が新規参入したということは、当時それなりに注目された。その立場を利用して、県の林政の場に盛んにかかわりを求め現場の声をあげ、さらに動きの鈍い森林組合を差し置いて、県林政を現場で推進するという立ち位置で、団地化と森林施業計画(後の用語では集約化と森林経営計画)にとりくんできた。

その成果は、森林施業計画を作成することで、造林事業の事業主体となり、森林所有者にかわって、直接補助金の申請ができるようになったことだろう。これは平成13年の森林林業基本法の改正にともなう制度変更に乗ったかたちではあるが、行政の支援を受けながら、森林所有者でも森林組合で無い立場で、独自に森林施業計画をつくったごく初期の例となることができた。

結果として、作業員の法定福利費などを標準事業費に上乗せすることが可能となり、狙いどおりに補助金を増やすことができたのだ。

補助金政策上では森林組合と対等に近い立場に立つ、それは森林作業員の協同組合としては画期的な成果ではあった。しかしそれで林業経営者になることができたとは言えない。
キーワードは「所有と経営」の分離だったが、実際には「所有の施業の分離」でしかなかったのだ。

いま、補助金を使った割引公共事業としての森林整備型林業は限界に突き当たっている。

森林経営計画と名前は変わったものの、内容はあいかわらず「施業の計画」であって、そこには経営は入っていない。

計画と規格を超えた独自経営には程遠い。

自営

どうしたらあたらしい森林経営を創り出せるのか。

まず考えられるのは、森林所有者が自ら計画し施業を実施すること。

いわゆる「自伐林業」は、いちばんきれいな答えと言えるだろう。

伐採だけが林業経営では無いから、私は「自営林業」と呼ぶべきだと考えている。

むしろ施業は委託してもかまわない。自らが所有林の経営主体として、事業計画をつくり、施業は発注、指示監督し、さらに木材販売まで管理する。まさに自営そのものだ。

もちろん自営と言っても専業である必要は無い。複合的な自営業もあるだろうし、企業につとめる労働者であると同時に自らの土地について小規模自営にとりくむ、兼業農家型の兼業林家の可能性もある。

しかし、日本社会がほとんど企業社会となり、森林所有者の多くが森林ととおく離れた生活をおくる様になっている現状で、全ての森林において、自営的管理ができるとは思えない。

将来の課題として、過去の日本を支えてきた、農山村の土地密着、家族経営による自営生活の再生を語ることはできるが、過疎と高齢化が極度に進んでしまった現実の農山村で、土地所有者による自営的生活をどこまで再生できるかと言えば、かなり絶望的な状況だと言って良い。

委託・請負での経営は可能か

最近になって農山村に移住してきた、土地なし民。
これこそが私自身であり、今後の農山村生活の重要な担い手であることは間違い無い。
よそ者に期待できるかは未知数だが、よそ者に期待できなければ、日本の農山村は完全に崩壊してしまう。

もちろん総体としては、崩壊よりは撤退を選ぶという戦略になるかもしれないが、私自身は移住者として最前線にたちながらこの戦線を守り、少しでも押し返して生活を築くことを目指している。

これが私達の課題であり、現実的に多くの民有林の課題であると考えている。
作業を請け負うだけでなく将来を見据えた経営を請負う。
それは「山守」という言葉が最適だろう。

では「山守型」林業経営を成り立たせるためにはどうしたらいいのか。

労務提供型の請負業を超えて「山守」型経営を持続する方法はどこにあるのか。

たとえどれほど林政を動かして、いくら新しい補助金予算をもってきたとしても、そこにあるのは労務提供型請負の姿しが見えてこない。

それでは補助金林業の本質を変えることにはならない。

「山守」は森林所有者に労務を提供するのではない。

地域の生活者として、持続的な森林経営を担う経営主体でなければならないのだ。

収入源の確保

生活の基本は収入。

経済社会での基本は現金収入を得られる雇用。

労働者ではなく、事業者としての基本は

どんな仕事をして、誰に買ってもらうか。

資本主義経済における事業者の仕事とはすなわち「商品の生産」である。

商品には、いわゆるモノだけでなく、サービスも含まれる。
広義には労動も商品だけれど、労働者が直接労動を売るのではなく、事業者が経営主体として「労動の成果」を売る。

商品を生産して売るということは、労動の成果を売ると言い換えても良い。

経営とは、このような労動の成果を売る仕組みを動かすことだ。

労動の対象はここでは、森林の活用、たとえば木材の生産と販売ということになる。

ようやく「販売」という言葉にたどり着くことが出来た。

あらためて言い直そう、経営の課題は「商品の開発と販売」なのだ。

経営とは「商品の開発と販売」を通じた生産活動であり

生産活動は労動によって支えられている

あらゆる労動は商品の開発・製造・販売の過程のいずれかに属している。

生産活動を製造工程(いわゆる工場モデル)だけに矮小化してはいけない。

製造工程では、労動時間が生産と直結する労務提供型の生産活動が主な活動になっているのだが、開発(企画)と販売(流通)という、いわば、工場の入り口と出口が無ければ、工場を動かし続けることはできない。

補助金林業は、入り口と出口を無視した、工場を動かすだけの林業を支える仕組みでしかない。

販売戦略

独自事業の開発

2016年7月18日の草稿ここまで


以下は 2013-03-14

補助金が無ければ決して成り立た無い、低質アカマツ林の間伐林業の季節です。

働く人の生活のために仕事を確保しなければならないので、冬の仕事として、積雪の少ない地域で、アカマツ林を間伐し、売れないアカマツのC材を大量に市場に出荷し続けています。

アカマツの施業放棄林でも間伐をすれば、少しは優良なアカマツ材を育てる見込みはあります。

マツクイムシの被害がこれ以上進めば、残したアカマツも全滅するかもしれません。でも間伐をすれば、林内に広葉樹が侵入しやすくなり、仮にアカマツが全滅しても広葉樹林に転換しやすくなります。

広葉樹を入れることで土壌環境がアカマツ向きではなくなるので、マツクイに対する抵抗力が落ちるのでは、との危惧もありますが、広葉樹とアカマツがともに健全な状態で針広混交林として成立している例も多くみられます。

なによりも間伐をすることで、それまで人が立ち入ることもできなっかった藪山に、作業道が整備され、人が立ち入りやすい、利用しやすい森林になるという効果は大きなものです。

アカマツの梁材の需要は激減し、かつてなら梁に出した良材も短く切って合板用にしています。表裏がカラマツで、芯にスギとアカマツを使う構造用合板です。
これらはAB材ですが、実際に出るのはほとんどがC材。
放棄林でも少しでも良い木を残して悪い木を伐るのでやむを得ない結果です。

パルプ材の動きが鈍く、燃料材の需要も立ち上がらない情況で、売れても4000円/m3程度、去年の春出した分が完売したのが11月 最後は2500円でした。補助金が無ければ決して出せない材です。

現場はマツクイ被害先端地域なので伐った材を林内に残すことは出来ません。

森林組合が運営する木材市場なので受け入れ拒否はしません。

市場原理は完全に無視した行為です。

それにしても、ここまで売れない材をひたすら出し続けていると、現場のテンションが下がり気味になるのはやむを得ないかもしれません。

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