なぜ、素材や草稿を公開するのか。
成立の経緯頼まれてもいないのに文章を書いて公開する。はじまりは1995年にはじめたパソコン通信niftyserveに遡る。主な拠点は「食と農のフォーラム」fagriだった。fagriはniftyのフォーラムのなかでも、現在のSNSに近いコミュニケーションと発信の融合した空間だったので、一方的な発信には向いていない場だったのだが、勝手に「きこり日誌」というタイトルで、不定期連載のような事をはじめた。http://homepage2.nifty.com/yuni/kiknik/kiknikko.htm
web上で何かしらの発信をしようと思い立ったきっかけは、HTMLという言語を使ってハイパーテキストを実装できるという事を試してみたかったという、ある意味技術的な欲求からだった。
順番に行を追いページをめくるという読み方ではなく、文章の途中から文章の他の部分や他の文章へ自由自在に行き来できる、ハイパーテキストという在り方は、自分自身の思考の構造を表現するのに最適なのではと思いつき、比較的短くまとまったテキストをランダムに並べるという遊びだ。
ランダムと言っても何がしかのテーマはある。
いまでも記録として残っている手打ちサイト「八坂の棚田を大切にする会」http://homepage2.nifty.com/yuni/ysktnd/
変化してきた目的と手法自分自身の活動の発信とは別に、きわめてテーマを絞った表現へ、突然の変化は、小湊美和ファンサイトというかたちで始まる。現在でも地味に存続している http://komistar.org/ だが、実は原型は「愛のチカラ」というタイトルで、期間限定ではじめた個人的キャンペーンサイトだった。 いろいろあってやや社会的に沈んでいた時期に、およそ私らしくない発信形式ではじまったwebは、あいかわらずHTML手打ちだったけれど、次第に構造化し手動CMSのようなものになっていた。
もうひとつの課題は大町市に吸収合併されようとしていた、私の暮らしの場「やさかむら」についての発信だった。当初は八坂村内へ全戸配布する合併問題をきっかけに地域を考える印刷物だったが、どうせだからwebにもしようと考え、複数の編集者による共同執筆を考えてつくったのが http://yasakamura.net/ 最初期には手動CMS的なHTML手打ちだったがその後xoopsを使うようになる。現在では完全に運営は停止状態だ。
この頃私はネットワークコミュニティなるものについて考えていて「やさかむら.net」はコミュニティーポータルを意識していた。
同時にそのころから、ainochikara.com の付属の掲示板は、コミュニケーションというよりは、一方的な日記的な発信に変わり始め、1年間3600円という有償掲示板サービスを使った「10円日記」といういわばブログ的なものをはじめた。これは1年でサービス解約によって消滅している。
自分の発信に誰かのつくった仕掛けを使うのはおもしろくない。しかしやりたい事はwebサイトの運営ではなく、日々思うことの発信だ。さすがにHTML手打ちでは手間がかかりすぎる。そこでサイト全体をcgiによる掲示板の組み合わせでつくろうと構想し試験的に運用をはじめたこともあった。やがてCMSという優れたツールが有る事を知り、さらにwikiという自由共有空間の面白さに気が付き
その後何回かサーバーを引っ越したりwikiエンジンをかえたりしたために、現在のこのwikiではページのタイムスタンプは2012年以降になっている。
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