2016-3-5[土]木を伐る理由
林業を仕事にしている私が言うのだから、それなりの真実味があると思うのだが。
木を伐るということは、本質的には良い事ではない。
生きるためにやむを得ず行う、数有る殺生のひとつのカタチだ。
だから、どのような立場であっても、伐採という行為を誇らしげに語ったりしたくない。
先祖が植えた木を、他人に伐られるくらいだったら、自分で伐る。
だがしかし、それもまた、止むを得ない、結果としての行為だ。
人間が伐らなくても、木は斃れ、土に還る。
もったいないから利用する、というのも、自己正当化でしかない。
本来土に還るべきものを、奪う行為なのだから。
伐るために植えたのだから、伐るのは当然
伐ることによって生かす
伐らないと山はダメになる
みんな言い訳だ
人がこの世に現れるよりはるかに前から
木は生きてきた
森林は存在した
人は最後にやってきて
まるで、自分が支配し、管理しているかように振る舞う
その結果を見るがいい
この惨めな森林の姿を
見るも無残な樹木のかたちを
それでも、なお、木を伐るのなら、自らの生命と、森林の生命のやりとりのなかで、
木を伐らせてもらっている、そういう自覚を持ちたい。
自分で伐ろうが、他人に伐らせようが、伐るという行為は、生命のやりとりであることを忘れてはいけない。
|