2015-10-18[日]生存確認
Facebookのおかげで、ふだん連絡をとらない人の生存確認が簡単になった。
メッセージチャットのツールでみれば、ログイン状態がわかるからだ。
別人のなりすましという可能性もゼロでは無いが、ほぼ間違いなく生きていることは確かだ。
だからどうするというわけではない。
メッセージを送ったりはしないし、メールも、まして電話なんて
それでも、同じ時をシェアしている事が確かめられれば少しは安心する。
ただ、ログインしてはいるらしいが、タイムラインに投稿しない日があまり続くと、別の意味で心配になる。
余計な心配というものだ。
それぞれの人は各々の場で自分自身の人生を生きている。
私自身の人生と、それぞれの人たちとの人生が、どこかで接点を持ったことを、知り合ったと言うのだ。
知り合ったという事は、ただそれだけの事でしか無いけれど、かけがいの無いことでもある。
その後どのようなかかわりを持って生きるかということは、まったくわからないけれど。
この世界の中で知り合うことができたという、それだけでも奇跡的な出来事だ。
それから、どうする?
たとえば、いっしょに? 何を?
という事はまた別の次元の話し。
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