2016-10-15[土]

前座とは言え一応講演と名のついた事をするので、それなりのビジュアルな情報もあった方が良いと思いつつ、ここ数日の寝不足もあって、プレゼン用スライドの準備時間がほぼとれない状態

この際、ライヴ感にあふれるプレゼンをやっても良いかもという開き直りもあり、たまたま予定時間が押していたので、主催者と相談のうえ圧縮したかたちで話をしてみた。

落語は扇子と手ぬぐい、講談は釈台とハリセンという、シンプルな仕掛けで語る。そうした話芸の領域までは至らずとも、スライド等なしでよりライヴ感を重視して語るという流儀をもう少し極めても良い。

もちろんそのためには日々の精進が必要なわけで、たとえば初めての地域でも主要植物の同定くらいあっさりできるような事前準備をしなればならないし、自分なりに慣れ親しんだ論理を今一度再構築するくらいの学習も必要。
それに加えて、聴く人たちに届きやすいような内容の整理、語り口、姿勢、発声、音響を意識した間合いなど、工夫の余地は無限にある。

常にライヴな表現者であろうとする、そんなことをあらためて意識した一日。

そのうえで、カタチとして残る「報告書」のあり方についても、一考察。

目指すは「地図」として長くつかえる表現。

はたして、脆弱な基礎のうえに、どれほどのものを建てられるのか。

基礎からやり直す時間が足りない。

身体はひとつしかない。

でも、この領域、手伝いはいない。

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