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[[2013-04-07]]

八坂で生活をはじめて以来、欠かせない暮らしの仕事に汲み取りがある。

現代日本の生活では、都市部はもちろん、田舎でもなかなか願ってもできない事だろう。

今では都市のほとんどの住宅では便所は水洗化しているし、田舎に残る汲み取り式の便所でも、普通は汲み取り業者に頼んでいるわけで、あえて自ら汲み取りをやろうという人はあまりいないだろう。

我が家は、自動車道路から100mほど車の入れない道を入ったところにあり、最寄りの自動車道から10m以上の高低差があるために、普通のバキュームカーでの汲み取りは出来ないので、自力で汲み取りをしなければならない。

現場用仮設便所のようなものなので、容量は200リットル程度。毎回の汲み取りは全量ではなく、5~7割程度にとどめている。微生物の働きが活発でないと、臭気が強くなるので便槽内の生態系を守れるようにしているのだ。結果として我が家の仮設汲み取り便所は、無臭では無いけれども一般に想像されるような臭気は無い。子どもの頃育った家は汲み取りだったが、それはかなり強烈な刺激をともなった臭気を帯びていた。それに比べればはるかに臭わない。

汲み取ったモノは、いったん畑の隅に埋設してある200リットルのポリエチレン製タンクに貯めてある。このタンクでしばらく寝かせてから、さらに隣に堀った穴に移す。この穴には夏なら刈り取った草、冬はモミガラを入れる。水分は地下浸透し固形分は草やモミガラと混ぜた状態で発酵させて、肥料に使っているのだ。この段階では糞尿臭は全くなくなっているので畑に入れることに抵抗感は無い。

生食する野菜にはちょっと心配なので、順植物系の堆肥を使うが、ふつうの畑にこの肥料や、埋設タンクからとった液肥を使っている。ただ最近畑をサボっているので、使い切れずただ雑草を育てるために畑に撒いてしまうこともある。

決して快適な作業ではないし、そもそも汲み取り式便所というものも、あまりうれしい存在では無いけれど、日常生活の後始末を自らやっているという安心感はある。

原子力発電所の事を「トイレの無いマンション」と揶揄する反原発の人もいるが、トイレの先がどうなっているか思いを巡らす事は少ないだろうし、まして自力で行き先まで見届ける人は少ないだろう。
原子力発電所の事を「トイレの無いマンション」と揶揄する反原発の人もいるが、自分の家のトイレの先がどうなっているか思いを巡らす事は少ないだろうし、まして自力で行き先まで見届ける人は少ないだろう。

こんな事は自慢でもなんでもない、昔はあたりまえの事だったのに、いつのまにか生活の外側に押し出してしまった事だ。まさしく臭いものにフタをしてきた現代文明。ただ我が家がその文明に追いついていないだけなのかもしれない。
[CR]
トイレの先を考えないというのは現代文明的な思考を象徴するものだ。生活に最後まで責任をとらない思考が生み出した恐るべき環境破壊、その究極の姿が放射性廃棄物の問題だ。原発の事故が無くても、一旦核分裂反応を起こせば必ずついてくる問題だが、いままで見てみぬふりをしてきたわけだ。

私だって臭いものにフタをしたい気持ちはあるが、他ではめったにできない、そして今ではあまりやる人の無いこの仕事を、とてつもなく嫌な仕事だとは思っていない。

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