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7 (2015-08-28(金) 08:35:40)
#freeze
-Giuseppe Tartini, 1692/4/8 - 1770/2/26

バロック末期のイタリアのヴァイオリニストで作曲家

西洋古典音楽の作曲家の中で個人的に偏愛している

最初に出会ったのは、1980年に来日したイ・ソリスティ・ヴェネティが、イタリア文化会館でのタルティーニの作品を集めた演奏会。たぶん最初に聴いたのはヴァイオリン協奏曲e-minor D56。演奏会ではピエロ・トーゾのソロだったが、後に買ったLPはピエール・アモイヤルのソロだった。以来D56は私の精神的基準点のひとつと言えるほどの音楽になった。


技巧を凝らしたヴァイオリン音楽とは違う。パガニーニという技巧的不連続面以前のスタイルであり、18世紀までにに西欧ではほぼ絶えてしまった、創造力と想像力の技巧であって、現代のアスリートにも通じる人を驚かせる個人技の世界とは異質なものだ。

昔私はLPを買い漁ることは出来なかったが、たまたま父の買い集めたLPにジョバンニ・グリエルモの演奏によるソナタ集があった。通奏低音をチェロだけにした、ヴァイオリンとチェロの二重奏という演奏で、一般的バロックの演奏スタイルと違い弦の響きのなかに浸りながら落ち着いて聴ける。グリエルモは後にヴァイオリン協奏曲の全曲録音を成し遂げる。毎年のように出るCDを買う余裕は無かったが、最近になって29枚組みのセットボックスが格安で売られている事に気が付き購入。あこがれのD56は、アモイヤルのロマンティックな演奏と違う、爽やかな情熱に溢れた演奏。

ヴィヴァルディ的なイタリアバロックのスタンダードから多感で不安定な感情の起伏を経て、ギャラント的な明晰美まで、タルティーニの作曲様式は変遷して行くが、すべての作品には独特な憂いをまとっている。その源泉はアドリア海の自然にあるに違いないのだが、行った事が無いので想像するだけだ。

ロマンティックに流れないリリシズム。この音楽スタイルは私自身を説明する言葉の代わりになるとさえ思える。

タルティーニの音楽を聴くときに私に起こる精神現象は、永遠の片想いの相手に書き続けるラヴ・レターに篭められた、決して解放されない(解放を望んでいない)エロスだ。

先に挙げたグリエルモのソナタ集のライナーノートにタルティーニのソナタの多くは無伴奏だと書いてあったことが気になっていた。
バロック的なバッソ・コンティヌオはタルティーニの音楽においては、あえて楽器の音で表現する必要は無い。タルティーニが発見した(実際には最初に文章で発表したということ)と言われる差音現象は近接する二つの音に付随して聴こえるが、もともと一本の旋律線には和声が含まれており、倍音の響きに加えて、楽器の音ではない低音がつきまとっている。
倍音と空間の残響を取り込んだヴァイオリンの演奏には重音奏法さえも必要ではない、単旋律がオーケストラのような豊かな響きに包まれている。おそらくタルティーニはそのことに気が付き、リピエーノの残党である弦楽合奏を取り去り、コンティヌオを廃し、ついに完全な単旋律によるソロにたどり着いた。

最近になって楽譜の校訂が進んだためだろうか、無伴奏ヴァイオリンの演奏がいろいろ録音されている。これらの中からお気に入りの名盤を見つける事ができるだろうか。










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