バックアップ表示#freeze -Giuseppe Tartini, 1692/4/8 - 1770/2/26 バロック末期のイタリアのヴァイオリニストで作曲家、音楽理論家、指導者。 西洋古典音楽の作曲家の中で個人的に偏愛している 最初に出会ったのは、1980年に来日したイ・ソリスティ・ヴェネティが、イタリア文化会館でのタルティーニの作品を集めた演奏会。たぶん最初に聴いたのはヴァイオリン協奏曲e-minor D56。演奏会ではピエロ・トーゾのソロだったが、後に買ったLPはピエール・アモイヤルのソロ。以来D56は私の精神的基準点のひとつと言えるほどの音楽になった。 技巧を凝らしたヴァイオリン音楽とは違う。パガニーニに代表されるロマン派的技巧以前のスタイルであり、18世紀で西欧ではほぼ絶えてしまった、創造力と想像力の技巧であって、現代のアスリートにも通じる人を驚かせる個人技の世界とは異質なものだ。 昔私はLPを買い漁ることは出来なかったが、たまたま父の買い集めたLPにジョバンニ・グリエルモの演奏によるソナタ集があった。通奏低音をチェロだけにした、ヴァイオリンとチェロの二重奏という演奏で、一般的バロックの演奏スタイルと違い弦の響きのなかに浸りながら落ち着いて聴ける。グリエルモは後にヴァイオリン協奏曲の全曲録音を成し遂げる。毎年のように出るCDを買う余裕は無かったが、最近になって29枚組みのセットボックスが格安で売られている事に気が付き購入。あこがれのD56は、アモイヤルのロマンティックな演奏と違う、爽やかな情熱に溢れた演奏。 比較的初期とされる作品では、ヴィヴァルディ的なイタリアバロックのスタンダードに倣いながらもむしろより古い対位法的な手法が目立つ。 バロック的は構築性を離れた中期とされる作品群ではヴァイオリンの技巧と豊かな感情表現の対比が美しい。ドイツにおける多感様式よりも私の感情には直接作用する。D56 晩年の様式はギャラント的な明晰美を求めつつ、より個人的な感傷に近い表現への挑戦も見える。 タルティーニの作曲様式は、おそらく時代の流れに影響されつつ、変遷して行くのだが、すべての作品には独特な憂いをまとっている。ヴァイオリンが得意とする少しザラついた音階あるいは装飾音による不協和成分が独特な雰囲気を醸しているのだ。 その源泉はアドリア海の自然にあるに違いないのだが、行った事が無いので想像するだけだ。 ロマンティックに流れないリリシズム。 この音楽スタイルは私自身を説明する言葉の代わりになるとさえ思える。 タルティーニの音楽を聴くときに私に起こる精神現象は、永遠の片想いの相手に書き続けるラヴ・レターに篭められた、決して解放されない(解放を望んでいない)愛(エロス)だ。 先に挙げたグリエルモのソナタ集のライナーノートにタルティーニのソナタの多くは無伴奏だと書いてあったことが気になっていた。 バロック的なバッソ・コンティヌオはタルティーニの音楽においては、あえて楽器の音で表現する必要は無くなって行った。タルティーニが発見した(実際には最初に文章で発表したということ)と言われる差音現象、近接する二つの音に付随して聴こえる低音こそが、音楽が本質的に持つ持続する低音(バッソ・コンティヌオ)なのだ。
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