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1 (2013-07-23(火) 18:21:58)
#freeze
*なぜ「緑の党」を支持するのか。
**政治的活動の経歴
私は高校時代「サヨク」的なタイプだった。左翼ではなく「サヨク」と書いたのは、島田雅彦の「優しいサヨク」のような意味での政治性でしかなかったという自嘲的な表現だが、じっさいに、どこかの党派を支持したりまして所属したりということは一切無い。

1970年代半ばの神奈川県立川崎高校という場で、まだ残り香的にただよっていた生活感の無い政治性を嫌い、自分たちの身の丈にあった社会意識としての学校自治とか高校生自らによる学習権といった視点で生徒の自治的活動(自治会は無かった)には積極的にかかわっていた。そんなとき自己満足的な権威づけあるいはファッションとして「サヨク」にかぶれていた面が多少はあったという程度のことだ。

「アジア井戸ばた会」の活動でフィリピンの農民運動とそれを支援するNGOと接したときには、彼らの政治的立場(民族民主主義=>共産主義)について知ることになったけれども、あえて政治的な部分は避けて協働プロジェクトをすすめていた。

大学卒用後しばらく社会党比例代表で選出された堂本暁子参議院議員の事務所で私設秘書(=アルバイト)として働いていた時期があり、国政というものを裏側から身近に接するという経験もした。

私自身は政治活動へのそれなりの理解はあったつもりだし、最低限の政治参加として選挙の投票だけは、棄権することなく続けてきた。しかし、特定の政治団体(政党)や政治家を支持すいるということは無かった。

長野県に移住してからは、いろいろな成り行きから選挙運動にかかわった事はある。
知り合いの市議会議員の選挙カーの運転をしたり、八坂村の村議会議員選挙では隣組の一員として動員されたり、田中康夫氏の知事選ではポスター貼りもした。

しかし、いずれの場合でも、自ら政治的意識をあらわす活動としてその候補者(政治家)を積極的に支持するという類のことではなかったので、選挙が終われば彼らとのかかわりもほとんど無い状態だった。

ふだんの生活に入り込んでくる政治性はあまり無かったから、せめて選挙にだけは参加し投票する。支持政党も無いし支持している政治家もいないので、ぎりぎりまでどこの誰に投票しようか迷うけれども、そのときの意思表示として投票は欠かさなかった。

私は国家という共同幻想をあまり重視していない。国家が厳然と存在することは認めるが、自らの生活の場では国家の枠組みを意識しない、脱国家的共同性に基づいた生活を基本と考えている。
それゆえに、よほどの事が無い限り、国家権力と特別な対峙関係を避け自らの等身大の領域での暮らしを重視してきた。

しかしその「よほどの事」が、あまりにも次々と起こるようになった。3.11以降のことだ。


**2013年の参議院議員選挙
2012年の総選挙で自民党が政権に返り咲き、いよいよ国政があぶない状態になってきた。社民党と共産党を除けば、あとはすべて保守イデオロギー政党であり、個々の政治家の思いを越えて、新自由主義と復古的国粋主義が大手を振ってまかりとおるような状況が生まれてきた。

政治的エリート集団または世襲的政治家が国政を占拠し、どんな片田舎でも全面的に国民であることを強制されるような時代が見えてきた。

だれもが国家の国民であることが避けられなくなるとなれば、せめて民主国家の国民として民主国家の政治プロセスにも関わらることでしか、自らの生活を守ることができない。

そのような状況で迎えたのが2013年の参議院議員選挙である。

この状況では政治的選択がきわめて意味を持つ。

選挙の結果はともかく、どのような選択をしたかというだけでも重要だ。

そこでもう一歩積極的に政治を見回してみることにしたらそこに「緑の党」が見えたということだ。

緑の党は左でも右でも無い。持続的環境社会を前提とし、経済発展にかわるオルタナティブを求めるイデオロギー政党だ。
しかし、肝心なイデオロギーが定式を持っているわけではなく、グローバルグリーンズの大きな政策枠組はあっても、日本の政治状況に直結した戦略は見えてこない。
そんな未熟な(未知数の多い)政策集団(政治団体)が政党に成ることが可能なのかこの選挙で問われているわけだ。

そこに私も支持表明というかたちでかかわることにした。正直心もとない気持ちはある。
この選挙で急速に盛り上がりはじめているのは、推薦候補の三宅洋平であって緑の党ではない。では緑の党の他の候補者はどうだろう。

限られた時間であつめた(主にネット上の)情報では、政治家らしいセンスを持っているのは、京都の長谷川羽衣子と東京にすぐろ奈緒の両名くらしか見当たらない。





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