バックアップ表示#freeze [[2016-03-05]] 林業を仕事にしている私が言うのだから、それなりの真実味があると思うのだが。 木を伐るということは、決して良い事とは言えない。 人間が生きるためにやむを得ず行う事であり、 その行為自体については、例えプロであっても、単純に誇らしげに語ったりしたくはない。 先祖が植えた木を、他人に伐られるくらいだったら、自分で伐る。 なるほど、良いこころがけだ。 だがしかし、それもまた、止むを得ない、結果としての行為だ。 人間が伐らなくても、木は斃れ、土に還る。 もったいないから利用する、 それも結果論的な自己正当化でしかない。 本来土に還るべきものを、奪う行為なのだから。 伐るために植えたのだから、伐るのは当然 殺して食べるために家畜を育てる事と同じで、それを当然と開き直りたくない。 伐ることによって生かす 伐らないと山はダメになる みんな言い訳だ 人がこの世に現れるよりはるかに前から 木は生きてきた 森林は存在した 人は最後にやってきて まるで、自分が支配し、管理しているかように振る舞う その結果を見るがいい この惨めな森林の姿を 見るも無残な樹木のかたちを それでも、なお、木を伐るのなら、自らの生命と、森林の生命のやりとりのなかで、 木を伐らせてもらっている、そういう自覚を持ちたい。 自分で伐ろうが、他人に伐らせようが、伐るという行為は、生命のやりとりであることを忘れてはいけない。 私は、決して自慢する気になれない。 褒められたりしたくない。 [CR] [CR] [[木を伐る理由]]
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