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7 (2013-11-04(月) 17:56:48)
#freeze
「わたしたちは、思いと、言葉と、行いによって、多くの罪を犯していることを懺悔します」

聖公会の聖餐式(ミサ)における懺悔の言葉、かつて教会に通っていたころは毎週この言葉のところでぐっと息をのみ込んでいた。

キリスト教の人間観の基本は罪だ。

言葉と行いは、意思の力で制御しようとすればなんとかならないこともない。

しかし、思いだけは、どうしようもない。

思っても、言わない、やらないという事が日常にはたくさんある。

しかし思うというのは、絶対的に本質的だから。訂正しても修正してもそこに残ってしまう。

思うというのは、アプリオリなものなので、あらゆる説明はあとづけでしかない。

思いは現実化する、それはポジティブにもネガティブにも言えること。

思ってもやらないこともある。

思ってもできないこともある。

思ってもしてはならないこともある。

それでも、思いの否定はできない。

思う事が罪だとしたら。私はそれを受け入れるしかない。

でも思うことが素晴らしいことならば、私はそれを否定しない。




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