バックアップ表示#freeze [[yuni’s 有為記/2005-02-15]] [CR] [CR] [CR] 私が師と仰ぐ数少ない人のひとり、ルベン・アビト師が、座禅会で、いつも静かに語っていたことば。 [CR] いま・ここ 以外のなにが本質的に必要なのか? [CR] [CR] 「いま」以外のいかなる時にも、私は存在してはいないのだし。 [CR] 「ここ」でないどこに私は存在することもできない。 [CR] [CR] 何かを見たり考えたりすれば、それだけで、わたしは「いま」や「ここ」から離れてしまう。すなわち、見る対象や考える事象に、わたしの意識が移ってしまうからだ。 [CR] 何も考えず、何も見ない。でも、何ももしないということではない。 [CR] 何もしないで存在しつづけるということは、生きている者にはできないことなのだ。 [CR] 生きている者は、いま・ここで、常になにかをしている。 [CR] 意識を、自分が生きていることだけに集中する。 [CR] まず「自分の呼吸を感じること」からはじめるように教わった。 [CR] 呼吸、鼓動、やがて自分の存在、その背後にあるあらゆる存在へ、 [CR] でも、わたしは座っているだけでは暮らしていけない。 [CR] [CR] 座禅はいわば一種の練習問題でしかない。 [CR] [CR] 暮らしには、リハーサルはない。いつも、いま・ここが、本番。
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