選ぶということは、いちいち「これ」を決めるということであって、

本質的には、「あれかこれか」 から選ぶのでは無い

比較検討の結果だとしても、

選んだ結果は唯一絶対


どれだけ多くの情報や知識を集め、経験を積んだら、正しい選択ができるのだろうか。

比較検討して最適な選択をする。一見正しいと思われるやり方だが、有限な存在である人間にとって、正しい選択のために、より多くの事を比較検討するなどということは、結局不可能だ。

やりたい事をやるために、必要な知識や技術を身につけ、経験を蓄積する。たしかに修行というものは大切な過程だし、学ぶ、教わる、良き師に出会うということは、きわめて重要な事だ。

でも、本当にやりたい事があるならば、結局やってみる事に勝る方法は無い。じっさいにやることで、多くを学び、ほんとうに役に立つ経験を積むことができる。

人生、準備だけで終わってしまったら、もったいない。*1


人との出会いは様々だけれど、好きになるのは比較の結果ではない。

この仕事は多くの仕事を経験した結果、いちばん良いと思って選んだわけではない。

この村も、この家も、あらゆるものは、私が選んだ結果だ。

しかし、大切なものほど比較検討して選んだ記憶が無い

最初からなんとなく、そうだ、これだと、ぼんやりと思い、自信なく、不安気な、それでも確かな選択があった。

だいじな事はふと決める

いままで無数の選択を繰り返してきた。

当然、間違いもあったし、失敗もあった。

でも、取り返しのつかないような失敗や間違いは無かったような気がしていいる。

そんなに自己肯定的な方ではないけれど

後悔という観念が薄いのかもしれない

楽観的

生まれる事を選んだ記憶は無い

でも良かったと思っている

それは愛された記憶があるから

そう言われた事がある

幼い頃、両親に愛されたことの記憶

たぶんそこがはじまり

でも、いまに至るまでの人生で

やはり、誰かに愛され続けている

そんな感覚がある

ぼんやりとした

曖昧な

不確かな感覚


選べない事

*1 親しい自動車整備人の言葉だが納得。彼の挑戦的生き方の表現

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