どうやら、私は、意思と意志を区別しない人なのです。
思い(意思)先行で生きていて、志、みたいな、人間的な強さが足りない
思いは強くても、意志は弱い。
思いというのは、生物的、アプリオリな説明不可能なことです、
「意志」は主体的で能動的ですが、意思(思い)は本質的には受動的。
we shall over come
I shall be released
どっちも、will じゃない。
will では、どうしようもないこと、で終わってしまうかもしれないけれど、
shall だと、信じることが、根源的な力になっている。
will が人間の意志を示すならば、shallは存在の根本から来る必然のような意志。
それを受けとめる、覚悟。
あえて言えば、信仰
罪の例示である「思いと言葉と行い」にずっと引っかかっています。
思いは、受動的な在り方としての罪
恋は思いであっても、意志ではないですね。
それなら、愛は意志でしょうか。
私には、意志を持った愛なんて想像もできません。
意志をつらぬいて生きる人が眩しくて、憧れたりもしますが。
結局のところ、私にできることは、存在を受け止めることだけです。
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