2018-3-12[月]福島第一原子力発電所の事故は、3月11日にすでに始まってはいたけれども、大規模な放射性物質を排出したのは、12日になってからだった。
ということで、原発事故と震災を分けて考える必要がある場合には、原発事故を3.12と呼ぶべきだという考えもあるようだ。
確かに、あの事故さえなければ、不幸な天災ではあったけれども、復興へむけた足並みには大きな断絶は起こらなかっただろう。
原発事故は、社会を分断したまま、現在も収束の見通しさえたっていない。
政府の指示による避難(強制避難)と、自主的な避難という、事故当初からの事態に対する認識の差に象徴されるように、原発事故によってもたらされた、放射能汚染とその影響に対する認識も乖離したままだ。
事故当初のメルトダウン否定など、目に余る隠蔽やごまかしがあったために、公の情報への信頼感が地に落ち、汚染状況や被爆の影響についても、どこに真実があるのか、いまだに不信感が世には満ち溢れている。
事実としての汚染状況は、おそらく解明されてきたはずだし、被爆のリスクについての科学的な基本は変わらない。
問題は、リスクに対する捉え方が、被災地とその外側、さらに日本国と諸外国の間で著しく異なっているということにある。
事故前ならば、受け入れ不可能であったリスクを、事故後という状況下で受け入れざるを得ないということでは、世界中が共通ではあるのだが、被災地では除染とリクスレベルの見直しによって、居住可能である範囲を確保する努力が続けられている。
除染によって居住エリアの空間線量が一定程度以下になり、その地で生活を続ける選択をしている人も多い。
もちろん山林の除染は不十分なので、山に入って山菜やキノコを採ることはできないけれども、
一方で、除染の成果がどれほど進んでも、自主的避難を続けている人も少なくない。自主避難をしている人にとっては、汚染された土地で暮らすことは、受け入れられないリスクがあると判断しているのだ。
いずれは戻ることを考えてれば避難なのかもしれないが、二度とふるさとには戻らな
立場は、つまりリスクに対する評価は異なるけれども、こうした人々は被災者であり、特に避難したり移住したりしている人たちは、自主的であれ強制的であれ、避難民だ。
国際的には国内避難民と呼ばれるが、一般的に表現すれば「難民」と言っていい。
「難民」は常に分断されてる。まずその存在自体が認められるか否か、避難した人々と避難しなかった人々、避難しても帰還するかしないか、自主的に帰還するか、強制的に帰還させられるか。
3.12は、日本国において、こうした「難民」問題を生み出してしまったのだ。
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