今年はタルティーニ没後250年です
バロック末期から初期古典派時代のイタリアのヴァイオリニストで作曲家、音楽理論家、指導者。
西洋古典音楽の作曲家の中で個人的に偏愛している
最初に出会ったのは、1980年に来日したイ・ソリスティ・ヴェネティの、イタリア文化会館でのタルティーニの作品を集めた演奏会。たぶん最初に聴いたのはヴァイオリン協奏曲e-minor D56。
タルティーニの作品にはごく一部を除いて名前がついていない。
タルティーニはその後のヴァイオリン演奏技法や作曲に多くの影響を与えたとされてる。しかしパガニーニに代表されるロマン派的技巧以前のスタイルであり、18世紀で西欧ではほぼ絶えてしまった、創造力と想像力の技巧であって、現代のアスリートにも通じる人を驚かせる個人技の世界とは異質なものだ。
比較的初期*1とされる作品では、コレッリやヴィヴァルディ的なイタリアバロックのスタンダードに倣いながらもむしろより古い対位法的な手法が目立つ。
バロック的な構築性を離れた中期とされる作品群では多彩な装飾に彩られた、ヴァイオリンの技巧と豊かな感情表現の対比が美しい。ドイツにおける多感様式よりも私の感情には直接作用する。
晩年の様式はギャラント的な明晰美を求めつつ、自然の模倣を目指したシンプルでかつ整った構造を持ったスタイルにうつる。
タルティーニの作曲様式は、おそらく時代の流れに影響されつつ、変遷して行くのだが、すべての作品には独特な憂いをまとっている。ヴァイオリンが得意とする少しザラついた音階あるいは装飾音による不協和成分が独特な雰囲気を醸しているのだ。
その源泉はアドリア海の自然にあるに違いないのだが、行った事が無いので想像するしかない。生地ピランはかつて未回収のイタリアと呼ばれたアドリア海の東側で、現在ではスロベニアに属する地。夕陽が沈む海を見て彼は育ったに違いない。水の都ベネチアは遙か海の向こうだ。
ロマンティックに流れないリリシズム。
タルティーニの音楽を聴くときに私に起こる精神現象は、永遠の片想いの相手に書き続けるラヴ・レターに篭められた、決して解放されない(解放を望んでいない)愛(エロス)だ。
バロック的なバッソ・コンティヌオはタルティーニの音楽においては、あえて楽器の音で表現する必要は無くなって行った。タルティーニが発見した(実際には最初に文章で発表したということ)と言われる差音現象、近接する二つの音に付随して聴こえる低音こそが、音楽が本質的に持つ持続する低音(バッソ・コンティヌオ)なのだ。
sonata piccoleタルティーニは大協奏曲(コンチェルトグロッソ)のリピエーノの残党である弦楽合奏を取り去り、コンティヌオを廃し、ついに完全な無伴奏ソロにたどり着く。それがタルティーニ音楽の到達点と言える、sonata piccoleと名付けられた無伴奏の小品群として伝えられている。
一般には26曲のソナタとされている。
イタリアのバイオリニスト Luigi De Filippiによる解説と演奏。
UKのバイオリニストpeter-sheppard-skaervedは 全曲を再研究して30曲とし、録音している。いま入手可能な唯一の全曲録音。
日本のヴァイオリニストで、sonate piccoleレパートリーにしている人がいるかどうかわからない。生で聴くには、イタリアかスロヴェニアに行くしか無いのか?
手稿譜も公開されている
バスの譜も添えられているが、本来無伴奏で演奏すべきものと述べているタルティーニ自身による手紙が残されているらしい。
音源昔私はLPを買い漁ることは出来なかったが、たまたま父の買い集めたLPにジョバンニ・グリエルモの演奏によるソナタ集があった。通奏低音をチェロだけにした、ヴァイオリンとチェロの二重奏という演奏で、一般的バロックの演奏スタイルと違い弦の響きのなかに浸りながら落ち着いて聴ける。グリエルモは後にヴァイオリン協奏曲の全曲録音を成し遂げる。毎年のように出るCDを買う余裕は無かったが、最近になって29枚組みのセットボックスが格安で売られている事に気が付き購入。タルティーニの音楽は協奏曲以外にはほとんど残っていないので、これでタルティーニの全体像がだいたいわかるという大全集。
グリエルモが現代ピリオド楽器派の標準的演奏だとしたら、少し古い20世紀風のどちらかと言えばロマンティックなスタイルの演奏も残っている。タルティーニは、バロックととらえる必要は無いので案外好きなタイプの演奏だ。
バロックバイオリンのスタイルでは
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