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*&date(Y-n-j[lL],2015/1/1);
本来なら新しい年のはじまりは冬至であったはず。日本で長く使われてきた旧暦では今日は11月11日だ。明治以降の日本では世界でひろく用いられているグレゴリオ暦に従うこととなり、かくして今日は日本の新年、元旦だ。

今年も旧正月を祝う集いをささやかにやりたいと思ったりしつつ、今日は今日なりに正月らしく過ごす。なんであれ、お祝い事が多いのは良いことではないか。

年取りは大町にある妻の実家で信州式におご馳走を食べ、酒を飲み、紅白歌合戦ではなく教育テレビでクラシック音楽を聴き、行く年くる年をちらっと見て、酔っ払ったまま床につく。

朝は具だくさんの信州式の雑煮をたべてから、年賀状をとりに八坂の家に戻る。

そんな正月をもう20回も過ごしてきた。

私にとって正月もまた家族と過ごすための時。

かつて我が家では元日だけは家族だけで、静かに東京式の具の少ない雑煮を食べおせち料理を食べ、翌日からの怒涛のような連日の宴を前に静かな一日を過ごしていた。そんな正月を20数回過ごした後に、父が世を去り、我が家の正月にも変化がはじまり、母をひとり残して信濃國八坂村の移住して20年。

何事も変わることなく、季節が繰り返されるのであれば、それにどっぷり浸って過ごす事を文化と呼ぶこともできるだろう。しかし、あらゆるものは遷り変わる。

情緒的には変わらぬ日々を願って止まない私だが、結婚を期に生活の場をあたらしくつくる事を決め、新しい家族を創りだし、正月は妻の一家に合流するようになったのだ。

去年からあらためて考え始めた家族という在り方。それは最も安心できる安定した場のように思われる。しかし家族とは生き物として人間のひとつの生活形態である。
家族の原点には夫婦があることからも、家族とは人間にとって繁殖を軸とした生活形態であり、家族の原始的本質には、性と生、そして死がある。

変わることが無ければ、生命はつないで行くことができない。

家族とは変化のまさに只中に生まれた、ひとときの暮らしの形でしかない。

クリスマスからはじまって、正月まで、ことさらに家族を想うことが多い時期を過ごしてきた。

だからこそなお確かめておきたい。

同じところにとどまる事はできないのだ。

生まれること、変わること、それは全ての存在にとっての必然だ。

仏教では生老病死と呼び、ことさら衰えて死に向かう事に重きをおいて教えている。
仏教では[[生老病死]]と呼び、ことさら衰えて死に向かう事に重きをおいて教えている。
これは釈迦自身の出自を顧みたとき、生があまりに輝かしく充実しているゆえに、それに執着しがちな比較的豊かな人間の日常に対して、存在の本質について注意を向けるために、あえて強調したことであろう。
同時に、貧しく虐げられ、あるいは社会から追い出された、苦としか思えないような生活の只中にある人に対しても、全ての人間に平等な存在の本質を語り、それゆえに生への執着を解くことが救いになると説いたとも言える。

何よりも生に執着しなければ、老いることも病む事も死さえも乗り越えられるとの教えだ。


私は、なによりも生を全うし、生をつないでいくという、生き方こそが生物としての私自身の在り方の根幹であると信じている。
それは個別個体としての私の存続と継承を言うのではない。生とは生命のことであり、個体を超えた共存する生命の群れに、まさにいまうごめく、わきあがる、生命のことだ。

老病死は生命の本質と何ら相容れないものではない。

生きることをまっすぐにつきつめて、ただ素直に正直に生きつづけるならば、老いも、病も、死も、すべてはその自然の働きのひとつとして、私という個体を包み込む、あらゆる生命の群れのなかに、溶け込むことがかなうのだ。

これは、宗教学でも哲学でも無い。
仏教批判をするつもりも無ければ、宗教哲学を語る用意も無い。

ただ、せっかくの節目の日に、この文章を書きながら私のなかに湧き出てきた言葉だ。

この年のはじめに、創造力の源泉を訪れる。

去年の暮れに自らに課した課題に対し、まずはこんな言葉でこたえてみた。

あと数日、その後の変化をおそれることなく、まっすぐ思索の源流に向かってみる。

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