音と言葉と音楽について
の編集・凍結
Top
/
音と言葉と音楽について
トップ
凍結
差分
バックアップ
添付
リロード
新規
一覧
検索
最終更新
yuni
2024-08-03
yunikayama
2024-06-14
2024-06-14
2024-06-10
yuni
2024-04-17
Meinir Gwilym
2024-02-26
AntonReicha
2024-01-10
2024-01-10
2023-12-30
FrontPage
2023-12-09
2023-12-09
2023-10-09
2023-10-08
2023-10-06
2023-10-06
2023-09-13
2023-09-13
2023-09-12
2023-09-12
川路家
2023-08-27
Bluesky
2023-08-04
森の音楽舎
2023-08-03
ふえふきこり
2023-05-04
MikyungSung
2023-04-10
木と森の相談室
2023-01-13
2023-01-13
2023-01-06
2023-01-06
admin
ページを凍結するにはパスワードが必要です。
B
I
U
D
H
[[]]
<br>
--
管理者パスワード:
#freeze [[yuni’s 有為記/2005-08-23]] 幸いなことに、私は聞こえるので、[[音]]にはかなり敏感なほうだ。 耳が良いか悪いかわからないが、主観的に言えば、音の違いがとても気になるのだ。 そう、善し悪しではない。ちがいだ。 それも、絶対値ではなく、いろいろな関係のなかでの配置とか、そういったものだ。 音が空間で、意志をもったように、あるかたちに配置され、言葉のように、人から人へと伝えられるとき、[[音楽]]がはじまるような気がしている。 意識を持った存在がいなければ音楽は存在しない。 たとえばそれは、人だ。 音楽が、単に空間に存在するなんてことはあり得ない。 そこに、人がかかわっているから、どうしようもなくそれは[[言葉]]をはらんでいる。 [[歌]]と完全に離れた音楽はない。 それどころか、[[言葉]]は実は歌からはじまっているということも。
凍結する
凍結しない
タイムスタンプを更新
テキスト整形のルールを表示する
<<
2024.12
>>
日
月
火
水
木
金
土
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
Link
Bluesky
mastodon
threads
twitter
FaceBook
Instagram
山川草木
森林に迷う径
fuefukikori
komi☆.org
山のサンバー
edit
Last-modified: 2012-01-02(月) 10:31:06