目的
の編集・凍結
Top
/
目的
トップ
凍結
差分
バックアップ
添付
リロード
新規
一覧
検索
最終更新
yuni
2024-08-03
yunikayama
2024-06-14
2024-06-14
2024-06-10
yuni
2024-04-17
Meinir Gwilym
2024-02-26
AntonReicha
2024-01-10
2024-01-10
2023-12-30
FrontPage
2023-12-09
2023-12-09
2023-10-09
2023-10-08
2023-10-06
2023-10-06
2023-09-13
2023-09-13
2023-09-12
2023-09-12
川路家
2023-08-27
Bluesky
2023-08-04
森の音楽舎
2023-08-03
ふえふきこり
2023-05-04
MikyungSung
2023-04-10
木と森の相談室
2023-01-13
2023-01-13
2023-01-06
2023-01-06
admin
ページを凍結するにはパスワードが必要です。
B
I
U
D
H
[[]]
<br>
--
管理者パスワード:
#freeze [[目標]] *目的を定めて行動する 常識的に言えば、行為には目的があるはずだ。 勉強するのは○○のため 仕事をするのは✕✕のため 何らかの目的のためにするというのが普通だ。 何のために生きるのか 生きるということの目的を語るくらい無意味な事はない。 何のために在るのか。 存在に目的などあろうはずもない。 目的は、いま・ここの存在を、いま・ここでない何処か何時かに対象化する。 何処か・何時かに私は生きることはできない。 いま・ここ いま・ここは、過去の結果か? 未来の前提か? いま・ここは、 何ものにも、規定されない。 無限の自由がある。 創造 ---- 妥当な日常的判断としては、目的を持って行動することは間違いではない。 ある限定された条件のもとで、我々は日々目的をもって行動している。 12時に横浜駅で大好きなあの人に会う約束があるから、いつもよりちょっとおめかししていたら、思いのほか家を出るのが遅くなってしまって、11時15分発の電車に間に合うように、ちょっと急ぎ足で歩く。 そんな日常は、あらゆるところで目的に向かい、拘束され、支配されている。 それを否定も肯定もしない。 それが毎日だ。暮らしというものだ。 でも、私がひとたび、真の自由人として、そのものに対して立つときには。 目的などというものは、消滅する。 あの森林の入り口に立つとき あたなたに対面するとき 私は決して目的などという事を口走ることは無い。 純粋な思いに目的は無い
凍結する
凍結しない
タイムスタンプを更新
テキスト整形のルールを表示する
<<
2024.12
>>
日
月
火
水
木
金
土
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
Link
Bluesky
mastodon
threads
twitter
FaceBook
Instagram
山川草木
森林に迷う径
fuefukikori
komi☆.org
山のサンバー
edit
Last-modified: 2014-02-11(火) 23:14:40