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#freeze *一人のパソコンユーザとして -誰でも自分の話している言葉は無料で手に入れることができたわけだし、自由に使うことができるし、これから先も自由でありつづけるべきだと思う。 -言葉は私が創ったものではない、コンピュータも私がつくったものではない、ソフトウエアも私がつくれるものなんてほんの僅かでしかない。 -コンピュータを使い始めたころ、コンピュータそのものについて勉強するだけではなく(むしろその必要はほとんどない)、どこかのメーカーのつくったソフトウエアについて勉強しなければ使えないということに、とても違和感を覚えたものだ。 >自動車の運転を覚えるときには、どのメーカーの自動車を使ってもかまわないのに、どうしてコンピュータではそうはいかないのか。 -すくなくとも、OSと基本的なソフトウエアは自由に無料で使えるものが、どこでも誰でも手に入れられるべきだと思う。 >現実にOSなしでコンピュータを使うなんてことは、ほぼありえないのでOSが自由でないということは、コンピュータが自由に使えないということとおなじだ。 >OSの定義はどんどん変化しているので曖昧だが、最低限のことができるソフトウエアがセットになった利用環境としてのディストリビューションは、同様に自由で無料に使えるものがなければならない。 -特殊なOSや、専門的アプリケーションについては、必要に応じて独占的であっても、どんなに高額なものがあってもかまわない。 >きっと将来windowsやMacOSはこうした特別な存在になるはずだ。 >現段階ではコンピュータそのものが、まだまだ特別な存在だから、こうした特別なソフトウエアが標準になっているだけなのだ。 *どうしたら貢献できるのか -オープンソースで開発されているプログラムは、タダで手に入れることも出来るし、買うこともできる。 >私が買ったのは、TurboLinuxだけ、7、8、10と3回も買った。 >TLに無いソフトウエアは、無料でダウンロードして使ってきた。 >しかしその後ubuntuに乗り換えている。 -オープンソースに限らず、ソフトウエアは使ってこそ意味があるものなのだが、実は開発している人たちには、開発することそのものに価値があると思っている人が結構いるようだ。 >自分の著作物であっても独占せず、無料で公開し、さらにサポートまでしようという、およそ普通のビジネスでは考えられないようなやり方で、優れたソフトウエアが次々とつくられている。 >それは優れた芸術作品が売ることを前提としなくても創作されつづけているということに似ている。 -ソフトウエアは文化なのだ。ビジネスにもなるがビジネスだけではない。 >その国でどのようなソフトウエア環境が整っているかということは、その文化をあらわすひとつの指標になるだろう。 -そこで、私のように、単なるユーザの立場でどうかかわるのかという問題が出てくる。 >文化を享受するためには、社会の一員としての一定の責務があることは確かだ。 -非常に優れたソフトウエアあっても、個人で開発しているものは、あるとき突然開発が止まってしまうこともあるし、公開さえ止めてしまうこともある。組織的にやっているものでも、組織が分裂したり停滞したりなんてことは、日常的に起こっているわけだ。 >開発が止まってしまい、新しいプラットホームでは使えなくなると、とくに日常的に依存しているソフトウエアの場合には、困ったことになる。当然オープンソースなのだから、自分で新しい環境に対応できるように、改造できればいいのだが、 >私はプログラマではないので、ほんのちょっとのカスタマイズ以上のことは出来ない。 -もともと、開発に貢献できてないのだから、文句を言いようもないのだ。 -プログラムが書けない者は、オープンソースソフトウエアを使わない方が良いのか? >自動車をつくれない者は自動車を使わないほうがいいのか? >食糧をつくれない(自ら調達できない)者は食べないほうがいいのか? >>可能なかぎり、なるべく依存しないこと。 >>あるいは信頼関係にもとづいてにかかわること。 -プログラムが書けない者は、プロプライエタリなソフトウエアを使った方が良いのか? >結局依存してしまえば同じこと。 >>大抵のプロプライエタリなソフトウエアだって「無保証」であることに注意したい。 >そもそもコンピュータに依存するということくらい危ないことはない。 >しかし人は自然環境や社会に依存しなければ生きていけない -常に新しいオープンソースのソフトウエアは生まれているのだから、どんなに優れたものも、ひとつのものに依存せず、むしろ開発の盛んな活きのいいものに、どんどん乗り換えていくべきだろう。 -開発コミュニティによるサポート >開発に貢献できないので、基本的にはサポートは求めないことにしてる。サポート掲示板やWikiなどもよく見ているし、メーリングリストも購読しているけれど、自分から質問を出したことはほとんどない。 >もちろん、使い方がわからなかったり、困ったり、あきらかにバグかなという現象に出会うこともあるのだけれど、原則として自分で調べて解決することにしてる。 >実際、オープンソース開発サイトの掲示板で、うっかり安易な質問をして、勉強して出直してこいと言われている例がとても多い。 >なかには、商用ソフトでもなかなかやらないような丁寧なサポートをしてくれる人もいるけれど、概ねオープンソースの開発者はシロウトの相手をしたくないタイプが多いような気がする。 >自分の楽しみでつくって、フリーで公開して、みんなに使ってもらうことに喜びを感じたとしても、一方的なサポートを要求されるのは御免だということだろう。 >場合によっては解決できずにあきらめて放置してしまうこともあるが、しばらくたつと、バージョンアップによって問題は解決されていることが多い。そういうプロジェクトは素晴らしいと思う。 -サポートコミュニティとサポートビジネス >開発者のコミュニティとは別にユーザによる助け合いコミュニティが必要だ >さらにコミュニティとは別に、仕事としてサポートをする人が出てきてほしい -私のような受け身的ユーザの立場でも、オープンソースというあり方を活かしていくために何かしらの貢献ができないか、最近特に考えてはいる。 >結局、依存したくないと言いながら、現実に非常に多くのプログラムに依存してしまっている。 >[[オープンソース]]のページで紹介したものは、そのごく一部にすぎない。 -残念ながら、シロウトとしては、現状のコミュニティに直接コメントはしにくいので、ユーザの立場で勝手にレポートを作成し公開するということもアリかなと考えみた。 ---- 開発系の人、特にコーディング職人みたいな人にはコミュニティって苦手という人は少なくないと思う。 OSSの開発コミュニティって一般人ユーザーが立ち入れる雰囲気じゃない。 サポートとはユーザーサポートではなく開発者支援という意味。Mark Shuttleworthのような大金持ちでなくても、普通のユーザーが集まってフリーでオープンなソフトウエア創造環境がつくれないものか。 学問や芸術に公的支援が不可欠なように、フリーソフトウエアにもサポートの仕組みがあって良い。税金を使うのではなく、市民ファンド的なものが向いていると思う。 フリーソフトウエアにサポートを求めることはしない。ただ開発者とユーザーのコミュニケーションが面白い。結果を求めてなくても、かならず何かしらの結果が生まれる。私は開発側ではないから、何らかの支援はすべきだろう。広い意味で娯楽への木戸銭的な何かを
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Last-modified: 2012-10-12(金) 07:22:36