コンピュータネットワークでのコミュニケーションの場として最初に参加したのが、ニフティサーブだった。(1990年)

個人のアカウントではなく、仕事上の情報収集ツールだったが、ボスの名前での発信もやってみた。

自分のPCを持ったとき、すぐに加入。(1994年1月)
インターネットが日本でも使えるようになった頃で、閉鎖的パソコン通信ネットワークの限界が見えていた。

インターネットはコンピュータ個々単位で接続する通信インフラであるのに対して、パソコン通信はインフラ提供だけでなくコニュニケーションの「場」を提供するサービスだ。

「場」が主体であり、そこに集う人々のコミュニケーションが生まれる。

その中心はフォーラムというテーマ別の掲示板群のようなものだった。

インターネットは接続する「個」が基本。2chのような一般参加の掲示板サービスのような「場」の提供も当初からあったし、個人がそのような場を簡単につくることもできるので、コミュニケーションの場づくりを模索したこともある。しかし個人設置した「掲示板」でどうしても管理人対参加者のやりとりというかたちになりがちだった。

個人の公開日記的なブログが流行り、主催者対参加者というスタイルがいよいよ一般化して行くなかで参加者は次第に個々の閉じた場への拡散して行き、フォーラムは停滞していった。

Niftyもインターネットからの接続で使うようになってくると、閉鎖性が課題になっていく。

やがて日本でもSNSという「場」提供型のサービスが普及してきた

NiftyServeという場を提供するサービスはSNSに発展できる可能性があった。

場提供型のサービスは運営側の方針次第でどうにでもなってしまう。実際Niftyは一方的にサービスを停止してしまった。

2012年。同窓会というノリでサービスを再開?

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