2020-1-23[木]

イタヤカエデは葉っぱの縁にギザギザが無い。葉の光沢は無いけれどなんとなく艶めかしい。切れ込みの具合によって、エンコウカエデとかオニイタヤといろいろな別名を持つ仲間いる。いずれも他のカエデ類より緑の葉色が濃いし、大木になると葉が密生するから、イタヤの下はなんとなく暗くなる。

イタヤの稚樹はバランス良く四方に小さな葉を広げ、光の方向にわずかに首を傾げている。その可愛らしい姿にはやがて大木になり光を独占し、足元に他の木々を寄せ付けない強い性格はまだ現れていない。秋に黄葉し葉を落とし翌春にまた同じように葉を広げる。何年もほとんど成長している様子が見えない。

気になって毎年のように目をつけて、すこしまわりの灌木を取り除き、成長の手助けをしようと思ったりする。でもその気になるまで?なかなか育たない。いったい何を待っているのかじっと動かない。(よくよく観察すると前の年より1センチくらいはのびているが、そうやって何年もすごすものもいる。)

全てを観察できているわけではないので、おそらくそのまま枯れてしまう個体も多いはずなのだが、私が目をかけてきたイタヤの稚樹で私の目の前で枯れたものを見たことが無い。私に何かの力があるとは思えないので、たまたまそうなのだ。むしろ観察から漏れている多くのイタヤは枯れているに違いない。

自然科学的に観察しているわけではないので、やがて私はある一本のイタヤの幼樹ばかりを愛でるようになる。でもどんなに近づいても、口づけをすることは決してない。指先で触れることさえもしない。足音をしのばせ空気の振動さえも伝わらないように、気配を殺しただ眺める。その視線はすこし暑苦しい。

何か手出しをしたいわけではない。でも、私だけが特別に見つめていると思い込み、そのことを悟られないように気遣いながら、どこかに私が近くにいることの印を残しておこうなどと考えて、光と真逆の場所で、つまり北側の日陰で、大声で森林遷移について講釈をしたりする。

そんな私には具体的な目的意識などは無いし、まして目標なんて考えたこともない。ただそこに存在していることを、騒がしく表現しているだけだ。私が何をしてもしなくても、少しずつイタヤカエデの幼樹は育ち、自らの生きる方向を見定めてゆく。あの光の方向へまっすぐ伸びる。

灼熱の陽光を遮り、叩きつける豪雨もはじく、イヤタカエデの名前の由来とされるまるで板屋根のような樹冠。
春には甘露の樹液をたたえ、艷やかな材を蓄え、杉木立の縁を突き破り、林縁から空をつかんだ。まだ細くしなやかで、滑らかの樹皮だけれど、見上げるような木になった。

もう私はこの木を特別に愛でることなどできない。むしろいつか伐り倒す対象として、その材が少しでも育つことを待ち望む、ただの貧しい木こりだ。

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