2016-2-21[日]

55歳になった。

私の父の55歳の誕生日というのをよく覚えている。

小学校4年1970年の事だ。

つまり私は父の45歳のときの子なのだ。

55歳は年寄りとは思わないが、若いとはまったく言えない。

父の同僚は、働き盛りという表現で父を祝っていたが、あの当時55歳とは会社を定年になる歳でもあった。

去年高校の同級生数名と久々に会ったとき、彼らはすでに定年的なイメージのなかで、残りの会社暮らしをどうしようかという事ばかりを話題にしていた。早期退職を選んだ者もいた。

しかし。私はいまだに定まらない人生を歩んでいる。

結果がどうなるのかわからない事に情熱を傾け、あらゆる事をトライアルと思い、大成せず、権威とならず、良くも悪くも未熟であり続けている。

40歳を不惑と言うが、いまでも惑い続け、無駄なエネルギーを発散し続けている。

体力は30代ころから徐々に低下してきている。いまでは体力を試す機会もそれほどないのでどれほどのものか良くわからない。

精神的にはタフになってきたとは思うけれど、相変わらず不安なのか冷静なのかわからない。

バイアス電流としての精神的ノイズがある程度あった方が、集中力が高まり、発想が豊かになるという性質もかわっていない。

統計的にあと何年生きるかという事はともかく、新しい計画について言えば、200年~600年くらいのビジョンが当たり前の世界だ。
いずれ生きているうちに結果の出る事など無いし、それゆえに今・ここで結果を問われ続けるとも言える。

走りながら成長する。今日出会った高校生はまさにそんな感じだった。
その場にいた4時間ほどの間にも、どんどん脳細胞が活性化し表現が成長している。
その姿を目の当たりにしながら、手練手管で場を仕切るなんて事はまったくつまらない事だと思った。

あいかわらず普遍性など求めない。

一回限りの人生。

ここで、私として、私らしく生き抜く。

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