2014-8-12[火]

行き過ぎた機能主義の失敗。

修正ではなく創り直し。

立ち止まらずにそれが可能なのか。

できるできないの問題ではない。

荒い呼吸の中でも、しなやかに身体を捌きながら、ここから立ち直らなければならない。

人間の組織では、機能支配は続かないのだ。

生身の人間の、人格的なかかわり無しに、機能と役割だけで、人の集まりが成り立つわけがない。

民主主義というのは、現代の合理的な人間組織であたりまえに制度化されているけれど、機能主義の政治的一形態でしかない。合理的で民主的な判断が、ものごとの本質的在りようや、人の魂の声にこたえられないことはよくある話だ。

人格的な支配を拒否するあまりに、合理的、民主的な、組織という仮想人格、による支配こそが理想型であるという思い込みが起こる。そこには、潜在的に人格否定の考え方が紛れ込んでいる。

いま・ここに生きる、かけがえのない、私とあなたという、その本質的な在りようが、機能(function 函数)によって、対象化される。

私は、どこでも、だれでもできる事をやりたいのではない。

あなたと、いま・ここで、何かのためでもなく、誰かのためでもなく、自由に生きること。

正しい事が大切なのではない。

いのちが輝くこと、輝き続けること。

生きている実感

その結果が正しいとしたら、それはありがたいことだけれど、

正しさの証明が、生きることの意味ではない。

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