2014-5-8[木]

労働だけで事業を構成する事が可能なのか。

労働者だけで企業を運営しようとする、労働者協業体において、事業主体(事業主)とは共同的主体としての人格である、事業そのものということになる。

一般的に事業を代表する者は経営者と呼ばれるが、労働者協業体においては、経営は個人ではなく協同的主体である事業(企業)そのものによる営為である。

したがって代表者は個人としての人格ではなく、協同的主体の代表として、個を捨象しなければならない。

このような経営において、経営的意思決定(経営判断)とは労働者の集合的意思による決定であって、経営者個人の人格的意思は否定される。

意思決定における権限も責任も、全労働者が公平に分担することになる。

労働者の間には役割分担はあっても、指揮命令系統による上下関係は存在しない。

そのような在り方の企業には、労働はあっても経営は存在しない。なぜなら経営もまた労働の一形態に過ぎないからだ。

あらゆる労働は、工程要素に細分化される。経営も工程要素に細分化された経営労働となる。

労働はこのような工程要素の集積であるから、労働の価値は原則的には労働時間によってのみ評価される。

労働工程は充分に細分化されているから、そこに個別的価値判断は介在しない。

労働者の能力は、単位時間にどれだけの労働工程をこなすことができるかという事でのみ評価される。

この能力によって、労働時間あたりの単価が定められ、賃金が決定される。

こんな企業で働きたい労働者は多いかもしれない。だが誰も代表者にはなりたくないだろう。労働者はこの企業によって完全に守られているが、代表者だけは外部社会に対してあくまで個として対峙しなけばならないからだ。

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