鳥の目

一週間、おちついていろいろ考えて、ようやく書いてみる。

鳥になったつもりで、歌う人に合わせてリコーダーでうたってみた。

約20年ぶりに、お金をとってお客さんに聴いていたくステージで客演させてもらったのだ。

それでちょっと鳥の気分になって、自分の歩いて来た、そして今歩いている道を眺めてみた。

かつて、パントマイムの大家の率いる劇団にくっついて歩いて、リコーダーを吹いていたことがある。
いろんなイベントや自主公演の舞台、あちこち呼ばれて旅公演にも出かけた。

ちょうど大学受験のころから大学の前半くらいの時期のこと。バイトとか趣味ということではなく、はっきり二足の草鞋のつもりで、最初はルネサンスから初期バロックくらいの曲をアレンジしてやっていたが、しまいには、最近ちょっと流行っている「和」テイストを盛り込んだオリジナル曲までやっていた。そんなことで身の程知らずに、ちゃんとギャラまでいただいていたのだ。

三足目の草鞋だった「井戸掘り」との兼ね合いもあって、また相棒のギター弾きが本業が忙しくなったり、劇団の方向性のことなど、いろいろあっていつのまにか止めてしまったのだけれど。私にも音楽活動のキャリアがちょっとだけあったのだ。

私には、いつでもこれしか無いという道がなくて、いつでも何本もの道を平行に歩きながら生きてきたので、音楽もやめたつもりではなく、どこかにおいてきたような感じもする。

井戸掘りも大好きだったけれど、学生をやめた後、これ専業でやっていくべきではないと考えていたら、たまたま議員事務所の仕事なんてのにひっかかってしまった。

好きじゃないけれど「できる」仕事だったのではまってしまったことが、実際問題として音楽などやってる時間が無いということにもなっていったわけで、マイム劇団の仕事も完全にできなくなってしまったのはそのせいかもしれない。

でも、今思い出せば、そのころにも、最近話題の政治資金パーティーでプロローグでスーツ姿でギター弾き語りで歌うという、これまたトンデモナイことをやったことを思い出した。

同時期に、学生時代にかかわっていた演劇ワークショップのようなことを、あたらしいNGOの立ち上げに適応しようとして、音楽と映像と語りという舞台形式での活動報告会をプロデュースしたり、クリスマスの音楽を中心にした音楽会形式でのフィリピンの漁村のことを紹介したり。そういえば、いつでも音楽をやる仲間が近くにいた。

それで講演会とかシンポジウムとか呼ばれるものと、音楽会とか演劇とかいわゆるライヴと呼ばれるものの中間的な企画をいつでも考えていた。

まぁ私の感覚で言えば、人に何かを伝えようとすることとは、つまりパフォーマンスであって、そういう会とはつまりライヴなので、音楽や演劇と連続したものだととらえていただけのことなのだ。

そうやって振り返ってみると、音楽系のパフォーマンスからまったく離れてしまったのは、実はこの10年ほど、八坂に来て「きこり」をはじめて以来のことだったのだ。

で、問題はいまのこと。

久々に鳥の目で眺めてみると、「きこり」という生き方、しかも現場主義者なのに、最近現場にあまり行けないという、ちょっと悲しい状態にある「きこり」という生き方も、それは自体けっこう演劇的というか文学的というか、要するに存在自体がかなりパフォーマンスになっているような気がしてきているのがわかってきた。

木こりなのに灯油を焚いて冬を越すという、まったく情けない生活の実態のなかで、そんな毎日をそのまま表現するには、もはや言葉だけでは無理だということも見えているではないか。

いま私が木の笛を手にしているということも、ちゃんと意味のあることだったではないか。

7年前に伐ったイタヤカエデもかなり乾燥も進んだことなので、これを楽器にしてみるというイメージも膨らんできた。

20年前にはじめて、手鋸で製材したケヤキやカキの板きれを探しだしてみよう。

あるベテランミュージシャンに「あなたは、木に恋をしたんだね」と言われた。そういうことだったのかもしれない。

そんなこんなで、色々諸々がつながってきたではないか。

これを書いている間に、さらにつながるべき人と6年ぶりに電話で話をすることもできた。すごい画期的なことだ。

そろそろ地上に降りてみる。今やるべきことがだいぶはっきりしてきた。

何に注意すれば良いかもなんとなくわかっている。

なぜ、今年になって音楽が私のまわりに戻ってきたのか、不思議なことだけれどそれはベストのタイミングなのかもしれない。

木実の森に感謝。

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