長野県の木材生産は振るいませんが森林整備事業の支出はトップレベル

http://www.maff.go.jp/j/budget/review/h24/pdf/0414.pdf

こんなに補助金を使って、やっていることは・・・

俗に「山掃除」と呼ばれる仕事がある。森林施業的にはあまり意味の無い施業で、もっぱら劣勢木や枯れ木のみを伐採し、林床の稚樹などをきれい刈り払い、地拵えよろしく、水平に棚積み。

かつて森林景観整備事業という環境系の事業があった。そのときの仕様がこのような棚積み集積だったのか調べていないが、人の手が入っていることを強く印象づける、このような景観を好ましいと思う人は、田舎の高齢者だけではないだろう。

どのような景観が美しいかということは、人の嗜好の問題なので、一概には言えないが、いま公的資金を投じて行われている森林施業は景観形成を主目的にしているわけではない。
施業の目的は森林の機能回復だ。特に環境的配慮という意味では、森林の多様性(時間的・空間的多様性)が最も重要視されるべきだ。森林景観

「改革プラン」以降、搬出間伐重点になったはずなのに、補助制度の微妙?な調整によってこれが復活しつつある。

http://www.rinya.maff.go.jp/j/seibi/zourinkikaku/kankyourin.html

切り捨て間伐の別名として残った「除伐」。もともと平均胸高直径18cm以下の林分が対象だったのに、伐採木の胸高直径が18cm以下に変更されたのは、平成24年の10月のことだった。除伐とは本来なら5齢級以下の林分が対象なのだが、12齢級以下なら対象にできる、条件によるが、玉切り・整理までやると補助金が加算。森林づくり県民税(森林税)対象地だと9割補助になる。

このような運用からわかることは、木材生産的な機能に期待できない山へも、公的な支援がなけば環境面での機能を維持することができないという、山側からの要求を受け入れた結果うまれた事業だということだ。本当は環境機能が問題なのではない、急斜面で蓄積の少ない森林でも仕事を確保することが課題なのだ。

森林の環境的機能を重視するためには保安林という制度がある。保安林の整備は100%公費で行われる。保安林は民有林にも指定されているように、個人の財産の管理を公的に支える制度なのだが、特定の森林には個人の財産としての役割よりも治山や水源のような公共的な役割の方が重要だという考えに基づいている。

保安林に指定されると、固定資産税がかからないなどの特典が有る一方で、伐採や土地利用に一定の制限が課せられる。何をやるにも許可を得なければならない。実際には禁伐になるわけでもないし、建物を建てられないわけでも無いのだが、個人の資産に対する公的制限を嫌い、保安林指定を嫌う所有者が多い。

そこで環境林という曖昧な言葉を生み出して、普通林でも保安林的な公益的機能を増進させる事を主な目的とした施業が行われている。環境林整備事業はそのような位置づけと考えられるだろう。

一方で、木材生産機能に期待できない森林であっても、山の仕事場として保安林整備や環境林整備の事業は山村の雇用を生み出してきた。改革プランで切り捨て間伐への補助を廃止すうことが提唱されたときに、真っ先に反応したのは、こうした事業で食べてきた山村地域だった。

我々にとっても、仕事確保の意味はあるので一定量この手の仕事もやっている。
私はすべての森林で木材生産は可能だと考えているけれども、当分のあいだ保育段階にある若い森林については、木材を生産する機能をゆっくりと高めつつ、森林景観を維持形成していくような施業も否定はしない。

ただし税金を使って実施する公共事業の目的は(雇用確保のための?)「山掃除」ではない。森林の「多面的機能」を増進する目的で行われる施業でなければならない。

当然のことだが上層木も伐る。中・下層の木を全刈りしない。限られた予算なので見た目きれいに棚積みをする余裕は無い(最近の長野県の補助事業運用では、道路等の上側100mの範囲で、玉切り・整理の予算をつけることができるようになった)
「山掃除」の範疇から考えると理解されにくい施業なので地元の評判は決して良くない。

このような仕事は、頑張って作業道をつくって、安い材を搬出するよりも、確実に利益が出る。面積あたりいくらという仕事なので、積算が簡単なのだ。しかしこんな事業に依存してしまったら、林業経営の未来は無い。もっとも間伐で安い木ばかり大量に出す仕事も、補助金依存という意味では同類かもしれない。

環境林整備事業は森林経営計画も不要、ただし実施主体は市町村か森林組合のみである。森林管理への公的関与という意味で、森林所有者や民間事業体の参入をあえて避けてある。

民間事業体が直接参入できないということは、こうした甘い事業に依存せず将来性のある経営方針を要求されるということであり、民間事業体にとっては救いと捉えるべきだろう。

森林整備補助金の関係で長野県の恥をさらすのは本意では無いが、例えば新設作業道延長と搬出材積の比較をすると、これまた情けない状況になる。
将来のためのインフラ整備と言う名目だが、対象林からの生産目標もきわめて曖昧で、道の支障木を伐り出して間伐のかわりになるという有様。
これが確実に利益になる。間伐本体の赤字を埋めるために同時につくる作業道で浮かせた事業費をあてるという程度ならまだ良いが、将来木材生産の見込みが無いようなところに延々と作業道をつくる事業が絶えない。
さらに言えば、高密度路網が推奨されるなかで、最大路網密度の制限が無いという盲点をついて、過剰な作業道づくりが行われている事実も指摘しておこう。

多くの有名林業地でさえ、昔から林業が林業生産だけで成り立って来なかったという事実がある。森林づくりは常に投資の連続であり、投資をした世代には見返りは無い。ただ以前の世代が適切な投資をしていれば、それがいまの食い扶持になるかもしれない。

もちろん、雇用確保は地域にとって最重要課題だ。ただあんまり調子に乗ってると、いくら補助金をうまく乗りこなしているつもりでも自滅する。

「補助金」という言葉がそもそも曖昧で良くない。税金を使う「公共事業」とはっきり言うべきだろう。業界内に情報を留めることなく、情報を公開し発信して行くことが重要だ。

現在の国家財政の状況から考えれば、補助金とは将来世代からの借金だ。超長期の金利を考えれば、確実に次世代から次次世代に3倍くらいにして返せるような内容でなければならない。他の公共事業でこのようなことは困難だが、森林については充分可能性はある。

Yahoo!ブックマークに登録 Google ブックマーク
clip!