2018-04-24

仕事上のルールは必要に応じて、説明可能ならば、柔軟に運用しても良い。(むしろするべき)
公言した逸脱はチャレンジとして評価し応援する。
ルールを守っても逸脱しても、成功したり失敗したりする。
失敗の責任は仕事で取り戻す。
成功の成果は皆で分かち合う。
そういうルールをつくりたい。

何故、組織にルールが必要なのか。

わかりやすい判断基準を決めておくことで、その都度の恣意的判断を避け、判断の妥当性を担保することができるから。

決定の責任をいちいちの決定者ではなく、ルールを決めた組織自体に委ねることが可能だからだ。

何故、ルールの逸脱が必要なのか。

ルールを決めたときと、違う状況が発生したり、違う状況を発生させたいとき。

そのようなときはルールの改正が必要だと考えるかもしれない。

そもそも、ルールは最小限に留めるべきで、変化が生じるときに、いちいち新たなルールを決めることを繰り返せば、組織はルールに縛ら柔軟性を失ってしまう。

状況の変化への対応、変化させる意思、は、そもそも生き延びるためになされる判断である。

個別判断を実行するにあたっては、ルールからの逸脱であることを明らかにし、結果に対しての責任を負うことが必要になる。そのような責任を負いたく無い者は、逸脱を避けることになるだろう。

ルールの運用を自由にすれば、そもそもルールを決める意味が失われ、組織の存在も危ういものになるだろうか。

組織は守ることではなく、変化することで持続できる。

組織は自らの力で、損傷を修復しながら成長発展し、生き延びていく必要がある。

組織には、一定のクラッシャブルゾーンを設けて、逸脱と挑戦によって、組織の損傷があったとしてもそれを受け入れる余裕があったほうが良い。

リスクを避けるだけでは組織は維持できない。維持を意識しすぎる組織は生き残れない。

そういうことを「皆で決める」のは難しい

だから、誰か が決めてしまうのが良い。

決めるのは、誰か? 誰でも良い。

直接的には決めた者が責任を持つ。

最終的には組織の責任者の責任になる、

だた組織の経営責任者は組織のメンバーを信頼している

組織のメンバーはそのことがわかっているから、

経営責任者の責任を支えることができる。

決める役目を担った 誰か を経営責任者が支える

そのことを組織メンバーが支える

そのとき参照されるのは、ルールではなく、生き延びる可能性である。

少しでも可能性のあることは、実行されて良い。

ルールは要らないというのではない

実際にルールは日常のちょっとした判断には便利に参照される

しかし、大切な事は、ルールによって決めるのではない

いまこの状況を超えて生き延びよう という意思によって判断されるのだ。

どの判断が正しいか、多数決で決めるのではない

正しいかどうかを誰も判断しない

ただ、うまく行くように判断し、その判断をさらにうまく行くように支える

しばらくやって、うまく行かなければ、判断は修正される。

修正は、誰がやってもいい

修正された判断に基づいて、全体の行動も徐々に改められる

普通の民主主義的な「正しさ」をどう乗り越えることができるか、

これからの時代を生き抜くための課題だ。

トップダウンでもボトムアップでもなく、フラットでもない、

ボトムアウト的?な、クラッシャブルな組織。

壊れにくい組織ではなく、壊れても良い組織

壊れてもすぐに修正、再生される組織

戦わなければ無敵だという言い方がある

戦うためには、ひとつの意思に基づく一致した行動が必要だ

ひとつの意思にしたがって、守ることはしない、

どこがが壊れても良い、全てが壊されることはない。

それでも生きた細胞のつながりのような、

生命体的な組織ならば、無敵というか、敵が敵である意味が無い。

個としての生命であれば、中枢を破壊されれば即死してしまう

全体としての生命体は、それぞれが独自に生きることができるから

どこかを破壊しても死ぬことは無い。

もちろん誰かの死を避けることはできないが、

それで全てが死ぬことはない

生命全体がつながっているので

生命は再生更新され、いつまでも若く成長し続ける

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