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人が動くと書いて、働くという文字ができているけれど、動いていれば働いていることになるわけではない。
給与の支払いの仕組みを考えるときに、時給制を基準に考えていると、働いた時間に応じた支払いということからのか。身体を動かして作業をしていなければ、働いたことにならないという観念が生まれがちだ。
作業が仕事の重要な部分であることは間違いないが、そのための仕組みを整えたり、段取りをしたり、後始末をしたり、目の前の課題の先にある、仕事の目的について検討したり、やってきた事を評価したり、という、作業ではないこと、考えたり、悩んだりしながら、なにかしら創造的なことへ向かおうという、試み、も、また重要な働きであり、本当に価値を生み出すような仕事は、こうしたプロセスが不可欠だ。
現場は作業で出来ているのは事実だが。作業だけで出来ているわけではない。作業の仕組み、作業の意味、作業の目的を常に確認し、作業を評価し、作業を見直し、作業を組立て直す。
そのために、すべの現場に関わる者たちは、この仕事にかかわる基本情報を共有していなければならない。作業をしながら得られる情報にが限りがある。そこで、主に情報を集め管理し作業場の外とやり取りをする、管理者という役割が求められる。しかし、本当に作業を有効な仕事にして行くためには、全ての作業者が管理者と同じレベルの情報にアクセスし、仕事の本質を理解しながら作業を進めるべきだ。
働くという事は、単に末端の部品として動く(動かされる)ことではない。
それができて初めて、仕事なのであって、対価を得る価値もそこにある。
動いた(働いた?)時間に応じた報酬などというやり方は、19世紀的機械工場のシステムの名残でしかない。
時給・日給どころか、月給制であっても、基本が労働時間(作業時間)に基づいた考えかたであるうちは、本当に事業に収益をもたらすような働き方は期待できない。
働く者は、事業に収益をもたらさなければならないのだ。
動けば良いのではない。
事業の収益とは、すなわち、新たな価値の創造ということだ。
働くとは、価値を生み出すこと。
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