記憶し記録し考えて行動するために、このページをつくる
今日は残念ながら、気の利いた事が書けそうも無い
歴史は毎日動いているのだから、いつが変わり目などと言うのは後からでないとわからないものだが、この日だけは、その瞬間に生きていただけで、おおきな変化点にいることが実感できた。
何が起こったのかということはともかく、そこから何を考え出したのか、ということが、このページで私が書けることだ。
あの日あの時間、私は我が家のすぐ近くの山の急斜面を歩いていた。震度3程度の揺れがあったはずだが、足場確保がやっとという急斜面を下っている最中で、まったく気が付かなかった。
山を降りて車のラジオで地震があった事を知り、ツイッターでただごとで無い雰囲気に気が付き、家のテレビで名取市を飲み込む津波の生映像見て、出来事の恐ろしさにただ呆然としていた。
それでも、地震にも津波にも放射能にも日常を破壊され無かった私は、精神的には強いダメージをうけたものの、比較的平穏な日々を今まで過ごしている。
あれから2年、いまだに私は自分の足場を確保するのがやっとという状態で、この震災に正面から向きあっているとは言えない。
寄付もした、支援物資も送った、署名をしたし、デモにも参加した。多少の発言をしたり、情報をつないだりもした。しかし、まだ被災した現地を訪れてはいない。
現場主義を標榜する私は、だからあまり語ることが無い。
理屈を言えば、東北でなくてもあらゆる「ここ」が現場なのだ。なんて言えないことは無いが結局それは言い訳だ。
その後に明らかになってきた、日本という国の社会全体を覆い尽くすような総崩れ感の只中にあって、生き続けることの意味を日々問い直しつつ、やっぱり只生き続けている自分がいる。
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