歌さがしの記

うたのはじまり

長いあいだにわたって伝えられ、厳しく鍛えられ、たしかに築きあげてきた唄声で、自信と誇りをもって世界に語りかけることができるもの。日本にもそういう歌があるとしたら、それは「民謡」じゃないか。
そうだと断定するには知識も経験も足りなかったし、まして自分で表現することなど到底およばなかったので、そうあって欲しいという願望だったのかもしれないが、私はかなり前から確信はしていた。

でも、理屈でないところで、なぜか私は「民謡」が嫌いだった。

私にとって「民謡」とは、東京音頭と炭坑節、花笠音頭・・つまり盆踊りの歌だった。お盆の近くになると近所中で地区ごとの盆踊りの練習がはじまり、夜遅くまで続く。私が毎日レコードや放送で接していた西洋音楽とはおよそ異質な響きながら、なぜかグルグルと頭の中を回り続ける歌。あまりにしつこく繰り返すので、まさしく「耳にタコ」という状態になっていたからなのだろうか。いつでもいちばん自分に近いような気がしていながら、聴きたくない音楽の代表になってしまったのはどういう精神の働きだったのか。

私が幼かったころは、近所の子供たちは、ともだちを遊びに誘うとき「○○ちゃん、あそびましょ」という言葉に節をつけてうたうものだった。(あえて音階を書けば、ミレミ、レミミレミ<キーは人によっていろいろあったかもしれない>)
自分も窓の閉まった隣の○○ちゃんの家のまえで声をかけるのに、ついこの節をつけてしまう。
それが小学生になる少し前くらいの頃から(私がyuniと呼ばれなくなったのもそのころ)なんだかとても恥ずかしいような気がしてやめてしまった。
当時の庶民の家には、ピンポーンって鳴るベルのようなものは無いし、木のドアじゃなくて、格子の入ったガラスの引き戸だったから、ノックするのも具合が悪い。それで、声をかけるわけだが、そうするとつい「ミレミ」が出そうになる。それがなんだか嫌で、自分からともだちを遊びに誘うことをしなくなっていった。
幸いといか、近所の子供たちは私を誘いに来てくれたので「実害」はなかったのだが、私の人格形成の初期に確かに心の傷のようなものとして、この節回しが刻み込まれているのだ。

私はこの変な節回しがとにかく嫌で、その延長に響いている炭坑節や東京音頭も感覚的に避けたいと思ったらしい。実はこの最もシンプルな節は、わらべうたの原型であり、ひいては日本音楽の根っこの部分を形づくるものらしいということは、後に本を読んでわかったことだ。

それでも私は納得はできなかった。現に多くの民謡を唄う人たちがいて、名人の唄をCDや放送で聴くこともあったけれど、しっくり来ないのだから仕方ない。

2年ほど前、偶然に聴いた小湊美和の唄ではじめて私は「民謡」を受け入れることができた。それは、コミの唄が良かったのか、それとも「民謡」の力が凄かったのか(私にはなじみの薄い東北民謡だったし)、厳密にはわからないのだが、ともかくそのとき以来、民謡を再発見しようと様々な試みをはじめたのだった。

2003年7月26日。東京の丸ビルで行われたイベントのフィナーレで、小湊美和は「東京音頭」と「炭坑節」を唄った。私にいちばん身近で、それ故に嫌なイメージの象徴でさえあった、この2つの民謡が、これほどまでに繊細で優しく(かつ力強く)うたわれるのを聴いて、私はまさに「歌がはじまった!」と感じた。もしかしたらこれで、子供のとき失ってしまった、恥ずかしさの向こう側にいる、本名の私(yuni)を取り戻せるかもしれない。

「うた」シリーズの第2部。タイトルを「歌がはじまるとき」として再出発します。

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