ソマミチのビジョンを、私なりに文章化してみた。
これはソマミチの全体像ではないが、私のかかわる切り口です。
ソマミチのメンバーはそれぞれが、共通ビジョンについての自分の言葉を持っています。
杣の道は、はるか昔から、山に通った人々の歩みを伝える道であり、人と森林を木材を通じてつなぐ道です。
本当の山奥にある小径は、山を知り尽くした山守の案内なしには、うかつに踏み込むことのできない迷路のような道ですが、山里の暮らしに密接な里山の道は、おじいさんが柴刈りに日々通った暮らしの道です。
杣の道を切り開いたのは、我々のご先祖ですが、その元になったのはけもの道だったと思います。
ヒトは森から出たサルですが、森なしには生きていけません。杣の道は「山の生き物」としての人の軌跡であり、人と山を分け隔てない通い道なのです。私たちはいまの社会で、林業や木材産業にかかわるときに、「ソマの道から始める」ことを、あえて意識化することが、大切なのだと思います。
木材は生きた樹木からつくられます。
人間の社会が生物の社会に依存している事は、日々の食べ物で最も日常的に理解されることですが、住まうこと、熱源を得ることで、最も身近なものは木材でした。
近代産業社会は、人間社会を生物社会をはじめとする自然の循環から切り離してきました。昔のような仕組みに戻ることはできません。
「木を使う社会の仕組み」を、いまから創り出すことは、あらたな段階における、生物社会、自然の循環とと一体になった人間社会をつくることにつながります。
- 経済のリデザイン~林業を通じて、地域経済の自立的発展を促します。
経済は人間がつくりだした、人間独自の社会生活を維持するためのエコシステムです
資本主義の末期といわれる現代では、このシステムを次世代まで続けることの展望が見えません。
私たちは、森林、林業、木材活用という、事業を通じて、行き詰まった現代の経済とはべつの経済システムを創造する可能性を目指しています。
林業は、他の産業と比較して、人間の技や努力よりも、圧倒的に、その土地に成立する森林に依存しています。その土地の環境における、もっとも効率的で持続的な在り方は森林の在り方のなかに示されています。
地域経済を林業を軸に組立て直すことで、風土と経済の一体性を再構築できるのです。
- シェアフォレスト~森の恵みを享受できる共有参画の輪を広げます。
地域の森林は、個人所有という形態に分断される以前には、すべて地域社会の公共材として、社会の成立する基盤でした。
現代においても、森林の社会的共通資本としての性質は完全には失われていません。特に里山は、木材生産だけでない地域生活のなかで、多様な役割を果たしてきました。
個人の土地資産という限定した価値観から解放された公共空間としての森林活用を進めることは、現代における、あたらしい入会の創出につながります。"
- コミュニティの創造~多世代交流と他地域交流の拠点を作ります。
交通と情報技術の発達は、伝統的な地縁コミュニティーや職域コミュニティーを解体し、様々な社会階層に人間を分断してきました。
核家族や個人として、どこかのコミュニティーに帰属しなくても、社会システムのなかで、それぞれが独立して生存可能に見えます。しかし、いずれ人は独りでは生きられず、それぞれが仮想のコミュニティーのなかに居場所を求めています。
山から伐り出された木が、木材として、木工品や建築として生活に活かされる、その過程に具体的にふれられる場をつくることで。地域を超え、世代を超えて、人々が交流する、リアルなコミュニテイーを創造できるでしょう。
- カスケード利用~山の恵を余すことなく活かします。"
山に無駄な場所はありません。木に使えない部分もありせん。
効率優先のシステムでは、山は単なる木の育つ斜面になり、木材利用も柱、床板など、生産ラインの都合で限定されてきました。
もういちど、山の多様な姿を再発見し、木材の活かし方を再創造していく、そこには新しい発想と構成力が求められます。"
- ライフスタイルの提案~杣の道に繋がるライフスタイルを提案します。"
田舎と都市の分断だけでなく、山村地域も含めて、現代の社会では、人々の暮らしは、収入を得るための稼ぎの場と、地域や家族の暮らしの場に断されています。
そこには、暮らしの寄って立つ根本である自然環境とのかかわり、その象徴としての、山へ通う道、杣の道の存在は忘れられています。
地域の木を、その木の可能性て使うことは、新しい暮らし方をデザインすることです。