2018-3-11[日]

今年の3月11日は日曜日なので、家で仕事をしている。

7年が節目だとは特別に思わないが、毎年ここで書いているわけではないのに、今年は書こうと思い立った。

あの時は、造林検査で我が家のすぐ近所の山中を歩いていた。急斜面を移動中だったので、震度3~4程度の揺れがあったのに、まったく気が付かなかった。

斜面を下って、スマホの画面を見た時に、事態を知り、すぐに車のラジオをつけた。
検査はその後も1時間ほど続き、帰宅してから普段はめったに見ないテレビのスイッチを入れた。
ちょうど、宮城県の沿岸に津波が到達した中継映像が流されていた。

私はいまだに被災地に行ったことがない。行く必要が無いと思っているわけではないが、他のことを置いても、行かなければならないと思うことも無く、ただ日常の中にあって日々を過ごしている。

昨日が東京大空襲、今日が東日本大震災、多くの人々の命日であり、亡くなった人々を想い起こす日なのだが、たまたま私のごく親しい人で、この日に亡くなった人はいない。

一年に一度だけいろいろ言うのはやめて欲しい、いまだに復興もままならない被災地の人たちからそういった声も聴かれる。毎日が苦しみのなかにある人々からすれば、普段は忘れているのに記念日的な扱いでこの時期だけメディアが大きく取り上げることを苦々しく思うのかもしれない。

だが、人は忘れるものであり、歴史は風化するものなのだ。全ての歴史を記憶に留め再生しながら生きることはできない。死者の事をときどき思い出すことはあっても、片時も忘れずに離別の悲しみを永遠に負い続けることでは生きていけない。

ただ、黙って時の流れに静かに納めて行くことができない事情がある。

この大震災のもたらした、もうひとつの大災害。福島第一原子力発電所の事故という、あきらかな人災が、いまでも放射能汚染が継続し続け、次なる原発災害への恐怖ととともに、日本社会を分断しているという事実からは、人類の誰もが逃れることができないことだ。

今年は、なぜだか特別にこのことについての思いが重積してきて、意図的にフェイスブック上で苦しい対話を引き起こてみた。

3.12については。明日書くことにする。

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