被抑圧者は抑圧状況に慣れてくると上手な抑圧され方を学ぶようになる。現存する抑圧状況のなかでいかに知恵を働かせて、賢く生きるかという生活の具体的目標をかかげ、抑圧で完全につぶされないように配慮しながら、被抑圧者としての生を受容する。それを奴隷の鎖自慢よりは高貴な生き方だと信じて。

被曝者は被曝状況に慣れてくると上手な被曝を学ぶようになる。現存被曝状況のなかでいかに知恵を働かせて賢く生きるかという生活の具体的目標をかかげ、被曝による健康被害を最小限にどどめるように配慮しながら、被曝者としての生を受容する。心の片隅で常に敗北を前提として闘う社会運動よりは良い生き方だと信じて。

勝ち負けではない闘うことに価値があるのだ。(今までも負け続けてきたようにこれからも負けるだろう)

上の最初の文をツイートしたときに、考えていた内容が下の文だ。
そして3番目の文が全体を共通して流れる通奏低音のような思考だ。

国家社会の形成過程にあって、人々がどのように生活と国家社会との間に折り合いをつけて生きているのか、いまの情況で書いておく意味はあるだろう。

この文章は2012年10月から書き始めているということにたぶん意味がある。
更新記録を遡れば、思考の流儀が見えてくるはずだ。

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