杣(そま)とは森に對する古い名稱のことである。杣にはあまたの徑(みち)があるが、大抵は草木に覆はれ、突如として徑なきところに杜絶する。 それらは杣徑と呼ばれてゐる。どの杣徑も離れた別の經路を走る、しかし同じ森の中に消えてしまふ。 しばしばある杣徑が他の杣徑と似てゐるやうに見える。けれども、似てゐるやうに見えるだけである。 これらの徑の心得があるのは、杣人たちであり森番たちである。杣徑を辿り徑に迷ふとはどういふことであるのか、熟知してゐるのは彼らなのである。 マルチン・ハイデッガー全集第5巻 題辞
Holz lautet ein alter Name für Wald. Im Holz sind Wege, die meist verwachsen jäh im Unbegangenen aufhören. Sie heißen Holzwege. Jeder verläuft gesondert, aber im selben Wald. Oft scheint es, als gleiche einer dem anderen. Doch es scheint nur so. Holzmacher und Waldhüter kennen die Wege. Sie wissen, was es heißt, auf einem Holzweg zu sein.
ハイデガーの言う杣径 Holzwege についての解読はまだ暫く先のこと。
とりあえず
「これらの徑の心得があるのは、杣人たちであり森番たちである。杣徑を辿り徑に迷ふとはどういふことであるのか、熟知してゐるのは彼らなのである。」
という言葉をここに再掲するに留めておく。
私は山の暮らしを選んだときから、杣人や森番(Holzmacher und Waldhüter)であろうと意識してきた。そこにはハイデガー的な意味も微かに帯びはている。
荒山林業地栃巣沢西参道の奥、急坂を登った先に荒山雅行氏が「哲学の森」と名付けた場所がある。
雅行氏の「哲学」についてはまだそう簡単に語ることはできない。
「杣径」というのは、日本林業経営者協会の機関紙の名前であり、ドイツの哲学者マルティン・ハイデガーの著作集のタイトルでもある。
林経協がハイデガーのHolzwegeを意識しているかはわからない。
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