モチベーションと能力

とうとう、山仕事創造舎に本格的な重機が来た。

これでようやく素材生産(つまりきこり)をやってますという感じになった。

今の時代、この程度の機械も持たずに「木を伐って売る」という仕事はなりたたないと思われがちなところ、極小規模の機械だけでそれなりに丸太を運び出してきたということは、充分に誇れることだったけれど、それでも本気になってこの仕事を続けていくのなら、グラップルくらいは無ければ話にならないのだ。

グラップル兼バケットというハイブリッドなアタッチメントに油圧ウインチを装着した、5tクラスのミニショベル。小さいけれど秘めた能力はなかなかのものなのだ。

私が林業の世界に入ったとき、最初にまず重機の免許を取ってくることが条件だった。そこで、せっかく八坂村に引っ越して来た後だったが、埼玉県草加市の日立建機まで行って免許をとり、いきなり12tクラスのグラップルのオペレータをはじめた。当時私はこの機械の運転が苦手だった、全然楽しくなかったし、結果として上達もしなかった。何度も事故を起こしそうになった、キャブのガラスを2度も割った。

それは結局、そのときの仕事そのものに納得していなかったということが最大の原因だったのだ。林業会社ではあったけれど、ゴルフ場の建設の仕事からはじまり、ほとんどが開発工事の障害物としての木を伐る仕事ばかり、話相手にもなってもらえない先輩たちのなかで、どうせ辞めるだろうという扱いをうけながら、それでも技術を覚えておけばいずれ役に立つという思いで、いわば修行として仕事を続けていた。そして目が悪いから機械の運転はうまくならないのでは?と決めつけていた。

結局1年続けることなくその会社をやめ、別の専業林家のもとで、林業のイロハから勉強しながら、本気で林業にとりくむようになった。それは私の通るべき道だったのだからいまさら何も言うまい。

あれから約10年、仲間と独立してはじめた山仕事創造舎としての5シーズン目も終わるころ、資本金の10倍近い借金をして機械を手に入れ、補助金なしでもやっていける林業を目指して次の一歩に踏み出したのだ。

当然、基本的なモチベーションが10年前とは違う。

しかし、昨日まで正直言って不安だらけだった。私は機械の運転は苦手だったのだから。建機会社になんども出向き最終チェックでは実際に運転台に乗ってもみた。だが、最後までこの機種で良かったのか、自分に使いこなせるか、確信がもてなかった。ただ、きっと仲間の誰かはこの機械を乗りこなしてくれるに違いないと信頼はしていたので、仮に私がダメでも事業としては成り立つと考えたのだ。

そのモチベーションと意欲である。

今日半日だったけれど、こんなに重機の運転が楽しいと思ったことはないほど、3時のお茶もわすれて集中していた。10年前できなかったことが、ちょっとした工夫で出来るではないか。わずか4時間で私はこの機械の基本的機能を理解し、まだまだペースは遅いが、仕事として使えると納得できるまでになった。なによりも、機種の選定に間違いがなかったことを確信できたということは、経営者の立場としていちばんほっとしたところだ。

たった一台の重機だし、雑用係の私は今後この機械の主なオペレータになることは無いだろう。けれど自分が扱えないものを仕事の中心に据えるなんてことは、少なくともこの仕事においてはあり得ないことなのだ。

我々は全員きわめて意欲的だ。もしこれを使いこなせなければ、たちまち借金で倒産してしまうのだからまさに後が無い。3ヶ月後、私は仲間の中ではいちばんへたなオペレータになっているかもしれないが、ともかく一歩を踏み出すことができた、その事が次につながる。

すでに次のマシンについてのイメージははっきりしてきた、我々の生産方法や事業の展開についてのイメージも具体化してきた。

これでやっていけるだろう。そう思えたら、次のことが見えてくる。やり残しの仕事もどんどん解決できるだろうし、新しい問題も避けて通らないことにしよう。

というわけで、きこり日誌もリニューアルして再出発なのだ。

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