2021-4-6[火]
人との出会いは有限。
限りあるからこその大切な出会い。
もう1年近くもたつのだけど、すごく良い出会いと思っていたのになんだかこじれてしまった件があって、とても悲しい思いをしている。
お互い人間的に未熟なだけなんだと思うけれど、こういうこじれ方は初めてなので、どうして良いかわからず、とりあえず距離を置いて、ときが来るのを待っている。
今日は仕事に前向きになろうと思い、朝から営業活動で動き回った。
10年ぶりくらいに会った社長さんは歳をとってはいたけれど、誠実な人柄はそのままで、木材加工の夢を分かち合えそうな気がした。
頼れる専門家の存在はありがたい。
気分がよくなったので、予定はしてなかったけれど、アポなしで近くの製材所へ。
しばらくぶりに訪ねたら製材の仕事は止まっていた。あずけたままの材の引き取りの相談をしながら若い人の悩みを聴く、
そのうちに会長さんが出てきて、思いがけずこれからの課題について話せたのは大収穫。生きていれば、きっと出口は見つかるはず。
そうなるとランチをコンビニで済ます気分ではなくなる。
未来につながる可能性はどこにあるのだろう。なんとなく新しい街じゃなくてふるい国道沿いにあるような気がして、たどり着いたのが1975年創業というカフェ。暖かな雰囲気とおいしいカレーだけでも嬉しかったけれど、50年続けることが目標であと少しと話していた店主とすこし仕事の話しをする。「私の仕事は人と人をつなぐことなんです」と言って、いっしょうけんめい人を紹介してくれようとする。たまたま今日は会えなかったけれど可能性しか感じられないような新しい出会いが続きそう。
3ヶ月前の話しの続きをしに行った別の工場では、予想される嵐をどうくぐり抜けるかという、ちょっと緊張感のあるでも面白い話しになった。
思えば今日話しをした人はほとんど私より一世代上の人たちばかり、10歳くらい上の人と再会したり新たに出会ったりという一日だった。
そこにはやはり安心感がある。
あらためて人生の先輩たちとのかかわりがあることをありがたいと思う。
このところあえて自分より若い人と積極的にかかわろうとしてきた。
できるだけ自分の年齢や経験に頼ることなくフラットな気持ちで、むしろ若い人からいろんなことを吸収したいと思いながら。
でも、いくらこちらがその気持ちでも、相手から見れば年長者だし先輩だ。
私のキャリアや肩書なんてたいしたモノではないけれど、やはりちょっと重いかもしれない。
期待されることもあるし、言われたく無いこともあるだろう。
親しみをもって話されてもかえって気持ちが悪いかもしれない。
今日再開したり出会ったりした人たちは、そういう緊張感をまったく感じさせない人たちだった。
人間的な成熟というのはそういうことなのだ、と感じさせるような人たち。
いい歳していつまでも未熟なんて言ってる場合ではないのかもしれないけれど、私にはやっぱりいつまでたっても成熟はなさそうだ。