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*&date(Y-n-j[lL],2017/12/29);
https://www.facebook.com/yunikayama/posts/10215027428148973

この結婚には私も縁が深い。

もちろん決めたのは当事者同士だけれど、はからずも出逢いを演出してしまったのは私だ。

結婚というのはひとつの経過であり状態なので、夫婦になってしまえば、それは特別な事ではなくなる。人々は結婚するそのときに「おめでとう」と言葉をかける。

おそらく最近では結婚に至るまで恋愛事情的な困難を乗り越えてゴールインしたに違いないという考えがあって「めでたい」と思うからだろう。でも、社会的な制度でもある結婚にはいろいろあって、かつては家を維持するためのもので当事者など無関係だったし、そのころは家がつながる事を期待して「めでたい」と考えたのだ。

荒山雄大と岩崎あゆみの結婚は、出会ったということだけでほぼ決まったくらいにシンプルで直接的ではやかったので、ゴールイン感がほとんど無い。なにより落ち着くところに落ち着いたという思いが、本人たちも、きっかけをつくった私にもあるので、良いスタート。これから生活を続けて行くことの困難は、別に結婚していなくてもあることなので、夫婦ふたりで暮らしていくことのほうがお互い別々であるよりははるかに良さそうなのだ。
このふたりの結婚は、出会ったということだけでほぼ決まったくらいに、シンプルで直接的で速かったので、ゴールイン感がほとんど無い。なにより落ち着くところに落ち着いたという思いが、本人たちも、きっかけをつくった私にもあるので、良いスタート。これから生活を続けて行くことの困難は、別に結婚していなくてもあることなので、夫婦ふたりで暮らしていくことのほうがお互い別々であるよりははるかに良さそうなのだ。

荒山林業の継承という課題については、おそらくふたりにはまだリアリティーがそれほどない。

私にとってはかなり現実味が見えてきたという意味で、少し楽になったなという気持ちがある。いかに特別なかかわりが有るとは言え、荒山林業地は私の山では無い。林業は世代を超えた営みだけれど全てが過去の仕事の継承というだけでも無い。それでも継承という課題は大きくその当事者は誰なのかという問いに対して、結婚をきっかけにふたりが中心にいることがあきらかになったので、私の立ち位置もわかりやすくなった。

直接の出会いは、11月12日~13日の「山の棚卸し」。かれこれ4年越しの仕掛けが実った私の企画。

岩崎あゆみは、その前日の恵那市でのワークショップ「森の時間をデザインする」に参加したついでに私について来た。

恵那のワークショップは元々はスイスのフォレスター、ロルフ・シュトリッカーつながりなので、荒山林業とは縁が深い。

だいたい私が林業関連で発信していることのほとんどは、荒山雅行さんから発していることなので、雅行さんが仕掛けたことがここに至っているということなのだ。

出会うべき者は、どこかで出会うわけで、私はたまたまそこにいただけ。

これから、私がどうかかわって行けるのか?

夫婦間のことには親だって立入れない。

ただ、二人の荒山林業に私がかかわり続けることは、充分すぎるほど正統で問題ない。

私はこれからも、林業のプロとして荒山林業に関わり続ける。

そういうことだ。

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