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*&date(Y-n-j[lL],2013/3/23);
今日は濃い一日だった。
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*村井吉敬先生の訃報
早朝FaceBookのタイムラインで、恩師村井吉敬先生の訃報を知った。
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大学入学当時は、私は哲学科の学生で村井先生は外国語学部だったので、直接講義を受けるという関係ではなく、アジア井戸ばた会の活動を通じての出会いだった。アジア井戸ばた会の設立には1982年の上智大学村井ゼミが大きくかかわっていたのだが、私が入学した83年の時点でも、メンバーの上智大生のほとんどは村井ゼミの関係者だったのだ。
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実際のアジア井戸ばた会の拠点は哲学科のルベン・アビト研究室だったので、村井先生との出会った場所もアビト研であり、私が村井研究室に出入りするのはそれから3年ほご後のことになる。
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そもそも私は村井ゼミの学生になるつもりはなかった(哲学科だったので)、しかし哲学科の必修がほぼ終わった、在学3年目卒業単位とは関係無いのに、村井先生のゼミに参加するようになる。
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村井ゼミはアジア文化研究所の主催する国際関係論の講座のひとつで、テーマは東南アジアにおける開発問題の周辺だったのだが、私と哲学科の先輩で当時大学院村井ゼミ生だったNSさんと二人で、まる1年間、ゼミの乗っ取りを図ったのだ。
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1983年に日本で開催されたアジア民衆演劇会議ATFに参加して以来、私は民衆演劇ワークショップの活動に非常に興味を持ち、PeoplesTheatreWorkshopJapan(PTFJ
)を通じて、日本での演劇ワークショップ活動にかかわるようになっていた。NSさんはフィリピンでPETAのワークショップに参加しており、問題解決の手法としての演劇ワークショップについて共通の認識と夢があった。
私たちは、大学のゼミのまるまる1年間をワークショップにしてしまおうという計画をたて、村井先生を半ば強引にまきこんたかたちで通年ワークショップとしての村井ゼミの運営を実現してしまったのだ。
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そんな暴挙を笑って受け入れてくださった村井先生のことを、私は恩師と呼ぶけれども、じつは講義を受けたことは一度も無い。ゼミで遊ばせてもらったという関係だ。それゆえに村井ゼミOBの集まりに顔を出したこともほとんど無い。
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卒業後、進路も定かでない私を心配して村井先生にとある本の翻訳をやらないかと薦められたことがある。しかし、議員事務所という超多忙な職場を得てしまった私は、せっかく先生からいただいたチャンスを活かすことができなかった。
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その後、東南アジアの開発問題や学問研究の道から遠く離れてしまったので、上智大学とも村井先生とも疎遠になってしまい、先生の最終講義も聴くこともなく、ただ年賀状のやりとりをするだけの関係になってしまって数年。最近になって先生がFaceBookをはじめた事で交流の再開がはじまるかなと期待していた矢先に、あまりにはやい旅立ちの知らせが届いてしまった。心よりご冥福をお祈りしたい。
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*一の瀬山あるき
大きな喪失感で迎えた朝だったが、今日は以前から計画していた、地元一の瀬の山を歩く会がやっと実現する日だった。多くの人を集めてのイベントでは無い、一の瀬集落の我が家より後に移住してきた、2家族とその友人たちという、ごく内輪な仲間での山あるきである。
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一の瀬に住んで19年、林業を仕事としていながらも、自分の暮らすむらの森林整備にとりかかることができたのはわずかに3年前。しかし、整備が一段落してしまえば、山への歓心も薄れてしまいがち。そこで、住民のうちでも、山の持たない新住民が率先して、山への関心を持続していきたいと考え、とりあえず山を歩こうと呼びかけて、2年がたってしまった。
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ゆっくり歩いて、たっぷり休んで、4時間弱の行程。仕事と無関係な気楽な山歩きはとても楽しい。ときどきこうして山を歩くだけでも、里山の活用の夢がひろがるというもの。住民ならではの視点を育てるという意味でこれからも続けていければと思う。
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*堀米薫さんの本2冊
これだけでお腹いっぱいな一日なのに、山から帰ると堀米薫さんの「チョコレートと青い空」「いのちのバトン」が届いていた。一気に2冊を読む。子ども向けにかかれた本なので読むのはたやすい。でもとても内容の深い2冊だった、
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今日は感想を書く体力が残っていないけれど、深いテーマを、平易な文体で、しかしきめ細かいリアリズムと人間味のある温かい視線で書き続ける、牛飼い農林家、堀込薫さんの存在はとても「力になる」。

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