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結婚を祝うささやかなパーティーに招かれて、実に7年ぶり(それ以上?)に、埼玉県の小川町に行って来た。[[アジア井戸ばた会]]の仲間で世代的には10年ほど後輩にあたる。(いわゆる学生サークルではないので正確に年数を数える習慣がない) 小川では、かつていろんな事をやった。井戸掘りからはじまってバイオガスプラントの建設あたりまでが、いちばんアクティブだったころ。仲間からは有機農業を志す者が何人も出た。昨日の二人も結婚して農家として独立する。彼らよりも少し上の世代で5年前に農家になった夫婦も二人の子どもを連れてきていた。 そしてその場にいた別のカップルももうすぐ結婚するということが明らかになった。こっちは農業をやるわけではないが国際結婚だ。 将来への不安と希望とのアンバランス。計算をしたらやっていけない現実。それを乗り越えるということ、そんなこと覚悟をしてやらなければならないとしたら、決してできることではない。勢いとか成り行きが結局ものごとを決める。 小川町という場所は、いろいろ勉強をさせてもらったところだった。そこで私は最終的には、自分は農業には向かないらしいということを(予想はついていたんだが)学んだ。 昨日はおいしい酒もあったので、久しぶりにあのころの自分の気持ちを通して、さらにその10年前にまで遡って、何をやろうとしてきたのかということを思い起こすことができた。 なぜ井戸掘りをやったりしたのか、なぜいまここで林業で暮らすようになったのか、よくよく考えてみれば、その原点というのは10代の最後のころにはじまっていたのだ。 それが何であるかをいまここで公開はしない。(昨日はつい話してしまった、1週間前にもおもわず口がすべったこともあった)自分がやることに自分が感動できるまで、それは公開しない。そのために、自分自身を磨かなければならないと思ったときから、20数年がすぎている。 もし何もできないうちに、例えば今晩とつぜん全てが終わってしまったとしても、後悔はしない。いまの在り方は途中経過ではあるけれど、いちいちそれはそれで完成しているのだから。 でも、次のことを語りはじめるときが、もうすぐ先に見えそうだとしたら「明日の朝もまた起きられますように」と祈るというものじゃないだろうか。
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