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#freeze 一般に労働の対価として賃金を受け取ることはあたりまえだとみなされている、そして、賃金が支払われないような労働についても、貨幣価値で換算しようという試みが多く行われている。。 しかし、労働によって生み出された価値は必ずしも貨幣に換算しなければならないという事は無い。 むしろ、すべての価値を貨幣に換算し交換可能なものと考える事自体に、どこかしら無理があるような気がする。 同じ生産物を得るのに直接労働と賃労働のどちらが得か、言い換えればどちらがより豊かになるかという事を比較検討すると、いわゆる経済的迂回という問題が浮き彫りにされてくる。 買ったほうが安いのは、一面の事実である。しかし、安さの背景で実際には多くの費用が発生しており、結局だれが得をしているのかわからないことがある。 このような漠然とした感覚を、もう少し具体的な事例を通じて分析することで、賃労働というものの実態をいくらかでも解明することができるのではないか。 山から木を伐り出して薪をつくり暖を取る、という行為によって、貨幣など通さなくても、直接労働の成果を享受できることは誰でも理解できるはずだ。 もちろん、薪で暖を取るために、薪を買う事もできる。しかし薪を買うためには現金が必要なので、何らかの方法で現金を手に入れなければならない。 現金を手に入れるためにする労働、すなわち賃金を得るための労働が、賃労働である。 1トンの乾燥していない薪をつくるために、木を伐り出して家まで運ぶのに、半日かかったとする。チェーンソーを動かして混合ガソリンとチェーンオイルを使い、小型クローラー運搬車と軽トラック使った。労働はともかく機械の消耗や燃料は金銭に換算される。 (もちろん手鋸や修羅、馬などの力で運び出すこともできるわけだが、ここではより一般的な方法で考えることにしよう。) 半日(4時間)の労働を金銭に換算するべきかどうか、換算するとしたら何を基準にしていくらにすべきなのかということが問題になる。 仮にこれらの全てを金銭で換算し費用を見積もったとする。 労働については、私の普段の仕事の日当の半日分ということにする。 結果はわかりやすく1万円としておこう。(手取り金額で考えるべきか、総費用で考えるべきかを要整理) ところで、1トンの薪原木は約1万円で買うことができる。ただし運賃は距離によって異なる。そこで伐採業者の現場まで自分の軽トラックで取りに行くことにする。 運搬にかかる時間(自分の労働時間)と軽トラの燃料代・消耗費を計算すると、自分で伐り出した場合とそれほど変わらない金額になる。
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