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    Anton (Antonín, Antoine) Reicha (Rejcha) (26 February 1770 – 28 May 1836) 
    
    -https://en.wikipedia.org/wiki/Anton_Reicha
    -https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_compositions_by_Anton_Reicha
    
    -ピティナ・ピアノ曲事典
    -ピティナ・ピアノ曲事典 レイハ
    -https://enc.piano.or.jp/persons/386
    --丸山瑶子氏による、いまのところ最もまとまった日本語の評伝。
    
    アントニーン・レイハ(アントン・ライヒャ アントワーヌ・ライシャ)はボヘミアのプラハに生まれた作曲家。
    ボン、ハンブルグ、ウイーン、パリなど、で活動し最後はフランスに帰化した。
    いろんな国で活動したため名前の表記が定まらない。このページでも、記事の流れであえて統一しない。
    
    ベートーヴェンと同年生まれで、10代にボンで出会い、ウィーンでも交流した親しい友人であった。
    音楽史的には、演奏家、作曲家というよりは、理論家、教育者としての活動が知られている。
    パリ音楽院の作曲法教授として、リスト、ベルリオーズ、グノー、フランクなどを教え、作曲の理論書は19世紀中欧州で使われた。
    
    ピアニスト、イヴァン・イリッチ[[Ivan Ilić]]の、5枚のアルバムによるライシャ再発見シリーズで(2018年第2集まで発売済)はじめてこの作曲家の作品に触れることができた。
    
    イリッチの解説による「ライシャ再発見」シリーズ動画が4編が公開されている。
    -https://youtu.be/f0hN3aZXd68?fbclid=IwAR2_X15O4Y9U163jMMHnmurBuKZefmgybX22AerNeVzpjMOIguwlOAl95GU
    
    -バッハによって完成された対位法をさらに拡張した新たなフーガ技法や、ミニマル・ミュージック的な作品、ポリリズムの積極活用など、20世紀になって多くの作曲家が取り組むようになった実験的な作曲手法に、若いときから取り組んでいたことの一端が紹介されている。
    
    -カプリチオ
    --https://youtu.be/WTE60JLeyPo?fbclid=IwAR1miNQHMedsBCtZJloFBm_G8Jiv8lP87qEN6DYt8FyelhYYRqMLzmUrAHs
    -36のフーガ32番 https://en.wikipedia.org/wiki/36_Fugues_(Reicha)
    --https://youtu.be/wT7zTCa_RX0?fbclid=IwAR3IKonDJvT-DnJpRHDb5CwBJP2WKzRsHO-E3H8Ygnw2KN_rj783L3Sw4S0
    
    
    歴史に埋もれた名曲の発掘を目指すトッカータレコードが全曲集を企画。
    webで試聴できる。
    
    -ヘンリック・レーヴェンマルクによるピアノ曲全集
    -Toccata Clasiccs、Henrik Löwenmark(pf)  
    --https://toccataclassics.com/product/antoine-reicha-piano-music/
    
    -クロイツァーカルテットによる弦楽四重奏曲全集
    -Kreutzer Quartet
    --https://toccataclassics.com/product/reicha-string-quartets-1/
    
    いずれも演奏者自身による詳細な解説によって、音楽史的な位置づけがよくわかる。
    
    そうした解説を読まずとも、ライヒャの音楽の魅力がよく伝わってくる演奏。
    
    
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    彼の作品は一般には木管五重奏くらいしか演奏されることが無い。じつは18世紀末における実験的音楽の挑戦者であり、膨大な作品が出版も演奏もされずに埋もれたままだという。
    
    最近になってパリ音楽院にある膨大な楽譜が出版されるようになり、再評価がはじまった。
    -最新の楽譜は以下から入手可能
    --https://symetrie.com/en/authors/antoine.reicha
    
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    ライシャは古典派からロマン派へという一般的な音楽史観とは異なり、古典主義とバロックを融合し、数学や幾何学をとりこむ絶対音楽の延長を試みていた。
    ただ彼自身は作品の出版や演奏よりも、ひたすら作曲をすすめ、後進を指導することに力をいれていた。死後、彼の作品はすぐに忘れられてしまう。ヨーロッパでは音楽理論家として作曲理論の著者として名を残すことになった。
    
    
    ロマン主義の全盛期をむかえた19世紀において、ベートーヴェンは元祖ロマン派の大作曲家として後世に伝えられたが、純粋な音の組み合わせによる絶対音楽を追求し、いわば、ミニマル・ミュージックの開祖ともなったライシャは歴史に埋もれてしまったのだ。
    

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